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=== '''イスラム世界への広がり''' ===
=== '''イスラム世界への広がり''' ===
'''アラビア半島からトルコへ''':16世紀、コーヒーとカフェ文化は、アラビア半島から、エジプトを経てオスマン・トルコ、サファーヴィ朝ペルシャなどイスラム文化圏ほぼ全域に広がってゆく。当時のイスラム世界の中心、オスマン・トルコの首都コンスタンティノープル(イスタンブール)にコーヒーの飲用が伝わったのは1517年。[[セリム一世]]がエジプトのマムルク朝を滅ぼした際に、コンスタンティノープルの宮廷にコーヒーを持ち帰ったとされる。
'''アラビア半島からトルコへ''':16世紀、コーヒーとカフェ文化は、アラビア半島から、エジプトを経てオスマン・トルコ、サファーヴィ朝ペルシャなどイスラム文化圏ほぼ全域に広がってゆく。当時のイスラム世界の中心、オスマン・トルコの首都コンスタンティノープル(イスタンブール)にコーヒーの飲用が伝わったのは1517年。[[セリム一世]]がエジプトのマムルク朝を滅ぼした際に、コンスタンティノープルの宮廷にコーヒーを持ち帰ったとされる。
'''関連項目: →1517年'''


'''カフェの広がり''':一方、カフェはシリアを経て1554年にコンスタンティノープルに開業している。人々の集まるカフェは「カフェ・ハネ(コーヒーの家)」と呼ばれ、次第に当時オスマン・トルコの勢力下にあったバルカン諸国、ギリシャへと広がっていった。
'''カフェの広がり''':一方、カフェはシリアを経て1554年にコンスタンティノープルに開業している。人々の集まるカフェは「カフェ・ハネ(コーヒーの家)」と呼ばれ、次第に当時オスマン・トルコの勢力下にあったバルカン諸国、ギリシャへと広がっていった。


'''ペルシャへ:'''一方、ペルシャでも[[シャー・アッバス|アッバース一世]]の時代に首都イスファーファンではコーヒーが飲まれ、多くのカフェがあったとペルシャを訪れたロバート・シャーリーや[[ピエトロ・デッラ・ヴァッレ]]などが記している。
'''ペルシャへ:'''一方、ペルシャでも[[シャー・アッバス|アッバース一世]]の時代に首都イスファーファンではコーヒーが飲まれ、多くのカフェがあったとペルシャを訪れたロバート・シャーリーや[[ピエトロ・デッラ・ヴァッレ]]などが記している。
'''関連項目: →1588年頃。→1614年'''


'''コーヒーとカフェへの弾圧:'''イスラム社会に広がっていく過程で、コーヒーとカフェは、各地で議論と軋轢を引き起こした。1511年のメッカでのコーヒー迫害をはじめ、カイロそしてコンスタンティノープルなどでコーヒーとカフェへの弾圧が起こった。「イスラム法に照らしてコーヒーは合法か」、「健康にとって有害か、無害か」「カフェは社会にとって有害か」こうした議論が繰り返されながらも、イスラム社会にコーヒーは着実に浸透し、社会生活に欠くことのできない飲料としての地位を築いていった。
'''コーヒーとカフェへの弾圧:'''イスラム社会に広がっていく過程で、コーヒーとカフェは、各地で議論と軋轢を引き起こした。1511年のメッカでのコーヒー迫害をはじめ、カイロそしてコンスタンティノープルなどでコーヒーとカフェへの弾圧が起こった。「イスラム法に照らしてコーヒーは合法か」、「健康にとって有害か、無害か」「カフェは社会にとって有害か」こうした議論が繰り返されながらも、イスラム社会にコーヒーは着実に浸透し、社会生活に欠くことのできない飲料としての地位を築いていった。
'''関連項目: →1587年'''


'''15、16世紀のコーヒー:'''初期、アラビア半島からエジプトへと伝わったコーヒーは、キシルとコーヒーの種子・殻を煎って抽出したものだったが、コーヒー文化が広がる過程で種子(生豆)を煎った現在と同じタイプのコーヒーが主流になっていったと思われる。  
'''15、16世紀のコーヒー:'''初期、アラビア半島からエジプトへと伝わったコーヒーは、キシルとコーヒーの種子・殻を煎って抽出したものだったが、コーヒー文化が広がる過程で種子(生豆)を煎った現在と同じタイプのコーヒーが主流になっていったと思われる。  
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16世紀後半になると、ヨーロッパ諸国とオスマン・トルコとの交易が盛んになった。同時にイスラム文化への関心が高まって多くの商人、学者がイスラム圏を訪れ、情報を持ち帰った。
16世紀後半になると、ヨーロッパ諸国とオスマン・トルコとの交易が盛んになった。同時にイスラム文化への関心が高まって多くの商人、学者がイスラム圏を訪れ、情報を持ち帰った。


コーヒーを紹介した先駆者としては、中近東を旅してヨーロッパで始めて書籍の中でコーヒーについて記した[[レオンハルト・ラウヴォルフ]](ドイツ)、エジプトに滞在してコーヒーの木のスケッチと共に詳細な特徴を記述した[[プロスペロ・アルピーニ]](イタリア)、レオナルド・バルダヌスなどが挙げられる。このような著作によってヨーロッパの知識人の間に「イスラムの黒い飲み物」コーヒーへの関心が高まっていった。
コーヒーを紹介した先駆者としては、中近東を旅してヨーロッパで始めて書籍の中でコーヒーについて記した[[レオンハルト・ラウヴォルフ]](ドイツ)、エジプトに滞在してコーヒーの木のスケッチと共に詳細な特徴を記述した[[プロスペロ・アルピーニ]](イタリア)、レオナルド・バルダヌス(オランダ)などが挙げられる。このような著作によってヨーロッパの知識人の間に「イスラムの黒い飲み物」コーヒーへの関心が高まっていった。ただ、16世紀中にコーヒーがヨーロッパに持ち込まれたという記録はない。   (山内秀文)
 
'''関連項目: →1582(3)年。→1592年。→1595年'''


ただ、16世紀中にコーヒーがヨーロッパに持ち込まれたという記録はない。
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イスラム世界への広がり

アラビア半島からトルコへ:16世紀、コーヒーとカフェ文化は、アラビア半島から、エジプトを経てオスマン・トルコ、サファーヴィ朝ペルシャなどイスラム文化圏ほぼ全域に広がってゆく。当時のイスラム世界の中心、オスマン・トルコの首都コンスタンティノープル(イスタンブール)にコーヒーの飲用が伝わったのは1517年。セリム一世がエジプトのマムルク朝を滅ぼした際に、コンスタンティノープルの宮廷にコーヒーを持ち帰ったとされる。

関連項目: →1517年

カフェの広がり:一方、カフェはシリアを経て1554年にコンスタンティノープルに開業している。人々の集まるカフェは「カフェ・ハネ(コーヒーの家)」と呼ばれ、次第に当時オスマン・トルコの勢力下にあったバルカン諸国、ギリシャへと広がっていった。

ペルシャへ:一方、ペルシャでもアッバース一世の時代に首都イスファーファンではコーヒーが飲まれ、多くのカフェがあったとペルシャを訪れたロバート・シャーリーやピエトロ・デッラ・ヴァッレなどが記している。

関連項目: →1588年頃。→1614年

コーヒーとカフェへの弾圧:イスラム社会に広がっていく過程で、コーヒーとカフェは、各地で議論と軋轢を引き起こした。1511年のメッカでのコーヒー迫害をはじめ、カイロそしてコンスタンティノープルなどでコーヒーとカフェへの弾圧が起こった。「イスラム法に照らしてコーヒーは合法か」、「健康にとって有害か、無害か」「カフェは社会にとって有害か」こうした議論が繰り返されながらも、イスラム社会にコーヒーは着実に浸透し、社会生活に欠くことのできない飲料としての地位を築いていった。

関連項目: →1587年

15、16世紀のコーヒー:初期、アラビア半島からエジプトへと伝わったコーヒーは、キシルとコーヒーの種子・殻を煎って抽出したものだったが、コーヒー文化が広がる過程で種子(生豆)を煎った現在と同じタイプのコーヒーが主流になっていったと思われる。

ヨーロッパのコーヒーへの関心の高まり

16世紀後半になると、ヨーロッパ諸国とオスマン・トルコとの交易が盛んになった。同時にイスラム文化への関心が高まって多くの商人、学者がイスラム圏を訪れ、情報を持ち帰った。

コーヒーを紹介した先駆者としては、中近東を旅してヨーロッパで始めて書籍の中でコーヒーについて記したレオンハルト・ラウヴォルフ(ドイツ)、エジプトに滞在してコーヒーの木のスケッチと共に詳細な特徴を記述したプロスペロ・アルピーニ(イタリア)、レオナルド・バルダヌス(オランダ)などが挙げられる。このような著作によってヨーロッパの知識人の間に「イスラムの黒い飲み物」コーヒーへの関心が高まっていった。ただ、16世紀中にコーヒーがヨーロッパに持ち込まれたという記録はない。   (山内秀文)

関連項目: →1582(3)年。→1592年。→1595年

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