「東方諸国への旅Journey into the eastern countries」の版間の差分

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==『'''東方諸国への旅'''Journey into the eastern countries』==
==『'''東方諸国への旅'''Journey into the eastern countries』==


 レオンハルト・ラウヴォルフの著書。1582年刊行。原文はドイツ語でタイトルは『Aigentliche Bescheribung der Raiss inn die Morgenländer(オリエント実体験旅行記)』。コーヒーに関して記したヨーロッパで最初の文献。英語訳『東方諸国への旅Journey into the eastern countries』(1693年刊、ジョン・レイJohn Rayの『Travel through Low countries』第2巻所収)によって知られる。
[[レオンハルト・ラウヴォルフ]]の著書。1582年刊行。原文はドイツ語でタイトルは『Aigentliche Bescheribung der Raiss inn die Morgenländer(オリエント実体験旅行記)』。コーヒーに関して記したヨーロッパで最初の文献。ジョン・レイの英語訳『東方諸国への旅Journey into the eastern countries』(1693年刊、ジョン・レイJohn Rayの『Travel through Low countries』第2巻所収)によって知られる。


ラウヴォルフのコーヒーに関する記述は次の通り(『東方諸国の旅』より翻訳)。
ラウヴォルフのコーヒーに関する記述は次の通り(ジョン・レイ『東方諸国への旅』より翻訳)。


「もし、何か食べたり飲んだりしようと思ったなら、ふつうに近くに露店があり、地面やカーペットに座って、ほかの客と共に飲める。わけてもすばらしい飲み物があり、カウベChaube(Coffee)と呼ばれている。それはインクのように黒く、病、特に胃に効く。彼らはこの飲み物を朝早くから野外で、誰の目を憚ることもなく、磁器のカップで飲んでいる。できる限り熱々で、唇に乗せるようにして一口飲み、皆座りこんでカップを回す。
「もし、何か食べたり飲んだりしようと思ったなら、ふつうに近くに露店があり、地面やカーペットに座って、ほかの客と共に飲める。わけてもすばらしい飲み物があり、カウベChaube(Coffee)と呼ばれている。それはインクのように黒く、病、特に胃に効く。彼らはこの飲み物を朝早くから野外で、誰の目を憚ることもなく、磁器のカップで飲んでいる。できる限り熱々で、唇に乗せるようにして一口飲み、皆座りこんでカップを回す。


 この湯はブンルBunruと呼ばれる果実からつくる。その果実は大きさ、形、色はベイベリーbayberry(シロヤマモモ)によく似ていて、2つの硬い薄皮に覆われている。この果実はインドから運ばれる、と聞く。果実は2つの部分に分かれ、中にそれぞれ黄色味がかった種子が入っている。その特質、外見と名称はアヴィセンナのいうブンカBuncha、ラーシス・アド・アルマンスRasis ad Almans(ラーゼス)とまさに一致する。・・・」
 この湯はブンルBunruと呼ばれる果実からつくる。その果実は大きさ、形、色はベイベリーbayberry(シロヤマモモ)によく似ていて、2つの硬い薄皮に覆われている。この果実はインドから運ばれる、と聞く。果実は2つの部分に分かれ、中にそれぞれ黄色味がかった種子が入っている。その特質、外見と名称はアヴィセンナのいうブンカBuncha、ラーシス・アド・アルマンスRasis ad Almans(ラーゼス)のブンカBuncha、とまさに一致する。・・・」
 
=== 参照文献 ===
・Wikipedia:Leonhart Rauworf(英語版)
 
・John Ray "Journey into the eastern countries" 1693, London
 
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2024年12月26日 (木) 05:34時点における最新版

東方諸国への旅Journey into the eastern countries』

レオンハルト・ラウヴォルフの著書。1582年刊行。原文はドイツ語でタイトルは『Aigentliche Bescheribung der Raiss inn die Morgenländer(オリエント実体験旅行記)』。コーヒーに関して記したヨーロッパで最初の文献。ジョン・レイの英語訳『東方諸国への旅Journey into the eastern countries』(1693年刊、ジョン・レイJohn Rayの『Travel through Low countries』第2巻所収)によって知られる。

ラウヴォルフのコーヒーに関する記述は次の通り(ジョン・レイ『東方諸国への旅』より翻訳)。

「もし、何か食べたり飲んだりしようと思ったなら、ふつうに近くに露店があり、地面やカーペットに座って、ほかの客と共に飲める。わけてもすばらしい飲み物があり、カウベChaube(Coffee)と呼ばれている。それはインクのように黒く、病、特に胃に効く。彼らはこの飲み物を朝早くから野外で、誰の目を憚ることもなく、磁器のカップで飲んでいる。できる限り熱々で、唇に乗せるようにして一口飲み、皆座りこんでカップを回す。

 この湯はブンルBunruと呼ばれる果実からつくる。その果実は大きさ、形、色はベイベリーbayberry(シロヤマモモ)によく似ていて、2つの硬い薄皮に覆われている。この果実はインドから運ばれる、と聞く。果実は2つの部分に分かれ、中にそれぞれ黄色味がかった種子が入っている。その特質、外見と名称はアヴィセンナのいうブンカBuncha、ラーシス・アド・アルマンスRasis ad Almans(ラーゼス)のブンカBuncha、とまさに一致する。・・・」

参照文献

・Wikipedia:Leonhart Rauworf(英語版)

・John Ray "Journey into the eastern countries" 1693, London

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