ロイズ
ロイズ・コーヒーハウス: Lloyd’s Coffee House
1688年以前~1785年。 エドワード・ロイド Edward Lloyd がタワー通り Tower St.(コヴェントガーデンの近く)で開業。ロイズ保険組合(現在のロイズ Lloyd’s of London)発祥のコーヒーハウス。コーヒーハウスはイギリスの近代市民社会の成立に大きな役割を演じたが、「ロイズ」は経済的側面で「ロンドン・コーヒーハウス」を象徴する存在である。
開業当初の「ロイズ」では、商品取引や土地建物取引、株の仲介などが行われていた。常連客には船員や船主が多かった。
1691年王立取引所近くのロンバード通り Lombard St.に移転。このころより「ロイズ」では船舶取引や保険の引き受けが行われている。保険の引受人たち(アンアダーライター)は、「ロイズ」に集まり海運や船舶の情報を仕入れて、保険の引き受けを行った。
1696年には新聞「ロイズ・ニュース」を発行し、ここに掲載された海運、船舶の情報をもとに貿易商たちはますます取引を活発化させ、「ロイズ」は保険業者の活動拠点となっていった。
1734年「ロイズ」は海運情報誌「ロイズ・リスト」を発刊。この情報誌は1771年まで発行され、信頼できる情報誌としてヨーロッパ各地で購読された。1750年頃にはロンドンの海上保険、海運情報センターの役割を果たし、「ロイズ」が最も繁盛した時である。
1768年「ロイズ」は店内での保険賭博で非難を浴びた。保険賭博を嫌う常連客たちは資金を集め、近くの教皇の頭小路 Pope’s Head Alley に「新ロイズ・コーヒーハウス」を開業させた。この後、数年間は二つの「ロイズ」が存在するが、多くの貿易商や保険引受人は「新ロイズ」に移った。「新ロイズ」はさらに大きくなるが、その運営は、設立された保険組合が行い、今までのようにコーヒーハウスを本拠地として、常連客の商人たちが商取引を行う仕組みとは異なっていた。
「ロイズ」は「新ロイズ」成長の陰で徐々に衰退し、1785年に閉店した。「ロイズ」の繁栄と没落は、まさに「ロンドンのコーヒーハウス」の栄光と衰退そのものである。
*「新ロイズ」に関してはコラム 『ロイズを巡って』を参照 (小村嘉人)
ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景 19世紀初め
Wikipedia:Lloy's coffee house(フランス語版)より
ロイズ・コーヒーハウス 19世紀画
参照文献:
・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年
・岩切正介 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年
・Wikipedia Lloyd’s Coffee House (英語版)
・HP LLOY’S