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1700年頃にバーチン通り Birchin Ln.で開業。商取引や株の仲買が活発に行われていた。 | 1700年頃にバーチン通り Birchin Ln.で開業。商取引や株の仲買が活発に行われていた。 | ||
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'''「エルサレム・コーヒーハウス Jerusalem Coffee House 」''' | '''「エルサレム・コーヒーハウス Jerusalem Coffee House 」''' | ||
2026年7月29日 (水) 02:20時点における最新版
[コラム] コーヒーハウスと商取引
16世紀中ごろまでは、イギリス人商人の活動の拠点はベルギーの港湾都市アントワープ Antwerp であった。ここで取引がされた輸入商品は船でテムズ川をさかのぼり、ロンドン橋付近で荷揚げをした。商品は荷揚げ地に近いコーンヒル Cornhill のロンバード通り Lombard St. 付近で路上取引が行われた。
16世紀の後半、イギリスはスペイン、ポルトガルの後を追い海外貿易、植民地支配に乗り出した。貿易による利益の獲得、植民地支配などの魅力的な要因から、海外進出は積極的に進められて、後の海洋帝国の誕生につながったが、これらの海外各地との商取引にかかわった貿易商や海運・船舶の関係者たちが利用したコーヒーハウスがロンドン市内、特にコーンヒルに数多くあった。
ロンドン大火の後、1669年に商品取引所(市場)が再建されたが、規模が小さくてイギリスの海外貿易の発展とともに膨大した輸入商品の量を、取引所だけでは扱いきれなくなった。貿易商人や船舶関係者は、雨風がしのげ、暖の取れる自分たちが出入りをしていたコーヒーハウスの店内で、直接商品売買をして多くの取引をするようになった。多くの商人たちが集まるコーヒーハウスには、海外のニュースや貿易の情報があふれていた。新聞などのメディアがまだ十分に発達していなかった当時は、情報は商人同士、船舶関係者同士の対話が唯一の手段であり、それらができるコーヒーハウスは、まさに当時のイギリスの貿易を動かす場になった。また、コーヒーハウスでは商品の取引だけではなく、他の経済活動も行われていた。海上輸送を担う船舶の取引、海上保険の業務、さらに貿易や船舶の会社の株取引、また負の遺産である奴隷の取引などである。
数々の商取引が行われたコーンヒルのコーヒーハウスをいくつか紹介してみたい。
「ギャラウェイズ・コーヒーハウス Garraway’s Coffee House 」
1670年頃にエクスチェンジ小路 Exchange Alley に移転した「茶」の一般販売をイギリスで最初にした店。ほかにコーヒー、たばこ、香辛料などの輸入商品の取引から、株取引、土地・建物、商品手形・保険証書の売買も行った。これらは主に競売方式で取引がなされて、18世紀半ば以降はコーヒーハウスというより競売所の様相であった。
(ギャラウェイズの項を参照)
「ロイズ・コーヒーハウス Lloyd’s Coffee House」
1691年にロンバード通り Lombard St.に移転。移転前(コヴェントガーデンCovent Garden 近くのタワー通り Tower St.)は商品や土地・建物の取引があったが、移転後は船舶取引、海上保険の引き受けが多くなり、のちの「ロイズ保険組合(現在のロイズ Lloyd’s of London )」の設立につながったコーヒーハウスである。
(ロイズの項、コラム:ロイズを巡って を参照)
「ジョナサンズ・コーヒーハウス Jonathan’s Coffee House 」
1680年頃にエクスチェンジ小路で開業。17世紀の末以降株取引の中心となり、1720年の「南海会社泡沫事件 South Sea Bubble 」の舞台にもなった。1773年スレッドニードル通り Threadneedle St. 近くに「ニュー・ジョナサンズ」を開業し、ここが1801年の「ロンドン証券取引所」開設の基礎になった。
(ジョナサンズの項を参照)
「ジャマイカ・コーヒーハウス Jamaica Coffee House」
1674年頃にセント・マイケル小路 St Michael’s Alleyで開業。ジャマイカとの貿易商が多く、海上保険契約や奴隷取引が行われていた。
「トムズ・コーヒーハウス Tom’s Coffee House 」
1700年頃にバーチン通り Birchin Ln.で開業。商取引や株の仲買が活発に行われていた。
(トムズの項を参照)
「エルサレム・コーヒーハウス Jerusalem Coffee House 」
1702年頃にカウパーズコート Coeper’s Ct.で開業。東インド会社と関係が深く、中国・インド・オーストラリアとの貿易関係者が多く出入りしていた。
「ニュー・イングランド・コーヒーハウス New England Coffee House 」
1720年頃にスレッドニードル通りで開業。アメリカ関係の取引が多かった。

「アンティガリカン・コーヒーハウス Antigallican Coffee House 」
1759年頃にスレッドニードル通りで開業。オランダ・フランス・ドイツとの貿易関係者が多く出入りしていた。
「バルチック・コーヒーハウス Baltic Coffee House 」
19世紀に入ってからの1823年にスレッドニードル通りで開業。ロシア貿易関係が多く、現在の「バルチック海運取引所 Baltic Exchange 」の前身。
ほかに1748年当時のロンドン・シティーの中心であるコーンヒルの地図には、「エルフォーズ Elford’s Coffee House 」「ペンシルバニア Penfilvania Coffee House 」「マリーン Marine Coffee House」などのコーヒーハウスが掲載されており、それぞれの店で様々な商業取引(活動)がなされていたと推測される。
(小村嘉人)
参照文献:
・William H. Ukers , ALL ABOUT COFFEE Second Edition 1935年
・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年
・岩切正介 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年
・Wikipedia:Royal Exchange, London (英語版)