*コラム:コーヒーハウスと近代ジャーナリズムの誕生
コラム:コーヒーハウスと近代ジャーナリズムの誕生
様々なメディアが発達した今日と違い、17~18世紀のイギリスでは限られた場所でしか情報を得ることができなかった。政治の話題は政治家同士の対話の中で、商取引の話題は商人同士の対話の中で情報を得ていた。この対話は主にコーヒーハウスの店内でなされていた。
新聞の誕生
情報の伝達は、対面での会話から紙面を媒体とするものに時代とともに変化をした。手書きのビラやパンフレットから始まり、活版印刷の普及とともにチラシや小冊子が発行された。
諸説もあるが、イギリスで最初の新聞は1621年トーマス・アーチャー Thomas Archer が発行した『クーラント Courant』といわれている。
王政復古期の1659年にはヘンリー・マディマン Henry Muddimanが王政擁護の新聞を発刊し、さらには1665年ロンドンでのペスト大流行のために宮廷が移転していたオックスフォードで、『オックスフォード・ガゼット The Oxford Gazette』(ロンドンに宮廷が戻った後は『ロンドン・ガゼット London Gazette 』に名称を変更)の発刊がなされた。これは官報に近かったが、一般の記事も掲載されていたので、この『オックスフォード・ガゼット(ロンドン・ガゼット)』をもって近代ジャーナリズムの誕生紙とする説もある。
ピューリタン革命、王政復古、名誉革命と社会体制が揺れ動いたくイギリスでは数々の新聞が発刊されては廃刊されていった。その紙面に掲載されている情報の多くは、同時期を隆盛していくコーヒーハウスでの対話からであった。そして、新聞が読まれるたのもコーヒーハウスであり、コーヒーハウスは情報の提供・享受の両方の役割を担っていたことになる。
雑誌の誕生
新聞がジャーナリズムとしての地位を定着しつつある18世紀初頭に、有名な雑誌が数々出版された。
ダニエル・デフォー Daniel Defoeが1704年に創刊したホイッグ党系の視点の雑誌『レビュー The Review』、トーリー党系の立場からジョナサン・スウィフト Jonathan Swiftが主筆した『エグザミナー The Examiner』などには政治の他に商業と貿易に関する記事が多く掲載された。政治色の強い雑誌がある一方で、社会記事・ゴシップ記事・文芸記事で人々を魅了した、リチャード・スティール Richard Steeleの『タトラー The Tatler』や、スティールとジョセフ・アディソン Joseph Addisonの『スペクテイター The Spectator』は近代雑誌の先駆けとなった。新聞と同様に雑誌においても、その記事はコーヒーハウスでの対話からであり、また、その雑誌が読まれるのもコーヒーハウスであった。さらに読者からの記事の募集もコーヒーハウスでおこない、雑誌の執筆もコーヒーハウスの店内でなされた。
ジャーナリズムと経済の発展
ジャーナリズムの発展はコーヒーハウスの隆盛と時期を同じくしている。人々が生活や娯楽の情報をコーヒーハウスで語れば、それが新聞・雑誌の記事となり、再びコーヒーハウスで広まる。当時のコーヒーハウスは情報の取得と発信の両方を備えており、コーヒーハウス自体がジャーナリストの役目をもっていた。特に商業カフェにおいては、商取引・貿易・株や相場の取引の情報をコーヒーハウスで得て、ジャーナリズムがそれを発信する。その情報を再びコーヒーハウスの客である商人や貿易商が利用をするという三者共存の三つ巴の関係にあった。この三者共存の三つ巴のなかで商取引はますます拡充して、イギリス経済は著しく発展を遂げた。この様子から、18世紀以降のイギリス経済発展の源が当時のコーヒーハウスにあったといっても過言ではないであろう。 (小村嘉人)
参照文献:
・William H. Ukers 『ALL ABOUT COFFEE Second Edition』 1935年
・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年