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*コラム:19世紀末から20世紀初頭のウィーンの芸術カフェ

提供: コーヒー歴史年表

[コラム] 19世紀末から20世紀初頭のウィーンの芸術カフェ

 19世紀後半になり政治変動が落ち着いてくると、ウィーンのカフェも落ち着きを取り戻した。カフェの数は19世紀中ごろの100軒から1890年代には一気に約600軒に増えて、ウィーンの市民は「誰でもが行きつけのカフェがある」との様相になった。

 作家や文学者が、「カフェ・グリエンシュタイドル」・「カフェ・ツェントラル」・「カフェ・ヘレンホーフ」といった文学カフェの文化を築いたように、画家や音楽家、建築家などの文化人や芸術家たちもそれぞれの贔屓のカフェを持ち、語り合い、情報を交換する「芸術カフェ」の文化を築いた。ベル・エポックの時代を迎えたパリをはじめとして、他のヨーロッパ諸国同様に、ウィーンにおいても「19世紀末の芸術カフェ」繁栄の時代を迎えた。

 19世紀末から20世紀初頭の代表的な「芸術カフェ」の代表としては、ウィーン楽友協会の近くに1873年のウィーン万国博覧会に合わせ創業した、「ホテル・インペリアル」の一階に併設された「カフェ・インペリアル」、1880年造形美術アカデミー近くで開業して、セセッション(ウィーンの芸術家グループ「分離派」)のメンバーが集った「カフェ・シュペール」、1899年アドルフ・ロース建築の「カフェ・ムゼウム」をこの年表に掲載したが、他の「芸術カフェ」をいくつかここに紹介してみたい。

 

「カフェ・ガーベザム Café Garbezam」 : 1837年から1883年までヨーゼフ・ガーベザム Josef Garbezam が営んだマリアフィルファー通り Mariahilfer Straße(現第6区)の庶民的カフェ。劇作家アンツェングルーバー Ludwig Anzengruber が常連であった。「芸術カフェ」のはしりとなる。

「カフェ・リッター Café Ritter」 : 1860年代にマリアフィルファー通りで開業。市の中心部から離れているにかかわらず、多くの芸術家や政治家が訪れた。このカフェは現存している。 (現住所:Mariahilfer Straße 73 , 1060 Wien)

「カフェ・シャイドル Café Scheidl」 : 国立歌劇場の斜め向かいにあり、作家や音楽家でにぎわっていた。ヘルマン・バール Hermann Bahr や画家のハンス・マカルト Hans Makartが常連であった。

「カフェ・パルジファル Café Parsifal」 : 詳細は不明だが、国立歌劇場の近くヴァルフィッシュ小路 Walfischgasse にあり、ワグネリアン(ワーグナーの音楽に心酔している人)やマーラーのファンが集まっている。

Wikipedia 「カフェ・ラントマン」より

「カフェ・ラントマン Café Landtmann」 :フランツ=ヨーゼフ一世の都市計画の整備により1873年に創業。ブルグ劇場に近くフランツ=ヨ-ゼフ一世自身も時々訪れた。作曲家エメリッヒ・カールマン Emmerich Kálmán、民俗学者ハンス・モーザー Hans Moser、俳優・舞台監督マックス・ラインハルト Max Reinhardt、映画監督オットー・プレミンジャー Otto Preminger、精神分析医ジークムント・フロイト Sigmund Freud  たちが集った。優雅なインテリアや広いシャニガルテンは当時からの高級感が漂い、歴代の首相や大臣、さらにはオーストリアを訪れた外国の多くの政治家や芸術家なども足を運んだ。その存在価値は現在も同じである。 (現住所:Universitätsring 4,A-1010 Wien)

                                                                                     

                      

 19世紀末から20世紀初頭に繁栄した「文学カフェ」・「芸術カフェ」は現存しているものが多く、当時の繁栄を知ることができる。また2011年に「ウィーンの伝統的カフェ文化」はユネスコの世界無形文化遺産に登録されている。

                                (小村嘉人)

 参照文献:

 『文学カフェ』 菊盛英夫著 中公新書 1980年

 『ウィーンのカフェ』 平田達治著 大修館書店 1996年

 『ヨーロッパのカフェ文化』 クラウス・ティーレ=ドールマン著 

               平田達治・友田和秀訳 大修館書店 2000年

 『ウィーンのカフェハウス』 田部井朋美著 東京書籍 2007年