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「スペクテイター」の版間の差分

提供: コーヒー歴史年表
Hide Yamauchi (トーク | 投稿記録)
ページの作成:「=='''スペクテイター'''The Spectator== 1711年にリチャード・スティールジョセフ・アディソンによって創刊された日刊誌。 『スペクテイター』には数々のコーヒーハウスの名前が登場する。「ウィルズ」「セント・ジェームズ」「グリシアン」「ココア・トゥリー」「ジョナサンズ」などで、これらのコーヒーハウスで仕入れたニュースや話題…」
 
Komura (トーク | 投稿記録)
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=='''スペクテイター'''The Spectator==
=='''スペクテイター '''The Spectator==


1711年に[[リチャード・スティール]]と[[ジョセフ・アディソン]]によって創刊された日刊誌。
1711年に[[リチャード・スティール]]Richard Steele と[[ジョゼフ・アディソン]] Joseph Addison によって創刊された日刊誌。
[[ファイル:スペクテイター.jpg|サムネイル|272x272ピクセル|スペクテイター Wikipedia:The Spectator (英語版)より]]
『スペクテイター』には数々のコーヒーハウスの名前が登場する。「[[ウイルズ・コーヒーハウス|ウィルズ]] Will's Coffee House」「[[セント・ジェイムズ・コーヒーハウス|セント・ジェームズ]] St. James's Coffee House 」「[[グリシアン・コーヒーハウス|グリシアン]] Grecian Coffee House 」「[[ココアトゥリー(コーヒーハウス)|ココア・トゥリー]] Cocoa Tree Chocolate House 」「[[ジョナサンズ・コーヒーハウス|ジョナサンズ]] Jonathan's Coffee House 」などで、『スペクテイター』の記事は、これらのコーヒーハウスで仕入れたニュースや話題をもとに書かれていた。


『スペクテイター』には数々のコーヒーハウスの名前が登場する。「ウィルズ」「セント・ジェームズ」「グリシアン」「ココア・トゥリー」「ジョナサンズ」などで、これらのコーヒーハウスで仕入れたニュースや話題をもとに記事が書かれた。
『[[タトラー]] The Tatler 』では、コーヒーハウスごとに、文学のことは「ウィルズ」で得た話題として、「ウイルズ」の欄に、内外のニュースは「セント・ジェイムズ」で得た情報として、「セント・ジェイムズ」の欄に、というような記事掲載の仕方をしていたが、『スペクテイター』では、各コーヒーハウスで得た情報をまとめて、一貫性のあるテーマに従った記事として掲載した。さらに『スペクテイター』には次の特徴があった。まず、ゴシップ記事だけではなくて、文学・学術などのまじめな話題が取り入れられた。さらに当時のジャーナリズムの主流であった政治議論を排した。また、道徳的な配慮をしつつさまざまな話題を掲載した。広告も多く、演劇案内、交際を求めるもの、医薬に関することなど多岐にわたっている。
 
『タトラー』では、コーヒーハウスごとに、文学の話題は「ウィルズ」の欄に、内外のニュースは「セント・ジェイムズ」の欄にと各号でそれぞれの記事になっていたが、『スペクテイター』では、各コーヒーハウスで得た情報をまとめて、一貫性のあるテーマに従った記事である。さらに『スペクテイター』には次の特徴があった。まず、ゴシップ記事だけではなくて、文学・学術などのまじめな話題が取り入れられた。さらに当時のジャーナリズムの主流であった政治議論を排した。また、道徳的な配慮をしつつさまざまな話題を掲載した。広告も多く、演劇案内、交際を求めるもの、医薬に関することなど多岐にわたっている。


『スペクテイター』の発行部数は約3000部で、コーヒーハウスが購入をして、そこの常連客が回し読みをしたので、当時のロンドン市民の約1割が読者であったと推測できる。1712年までに555号が発行され、さらに1714年に週3回556号から635号が発行された。後に、これらの記事は8冊の本にまとめられて出版がなされた。アメリカにも読者が多く、ジェームズ・マディソン James Madison (後のアメリカ大統領)の世界観にも影響を与えたという。 (小村嘉人)
『スペクテイター』の発行部数は約3000部で、コーヒーハウスが購入をして、そこの常連客が回し読みをしたので、当時のロンドン市民の約1割が読者であったと推測できる。1712年までに555号が発行され、さらに1714年に週3回556号から635号が発行された。後に、これらの記事は8冊の本にまとめられて出版がなされた。アメリカにも読者が多く、ジェームズ・マディソン James Madison (後のアメリカ大統領)の世界観にも影響を与えたという。 (小村嘉人)
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・Wikipedia The Spectator (英語版)
・Wikipedia The Spectator (英語版)
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2026年8月5日 (水) 03:28時点における最新版

スペクテイター The Spectator

1711年にリチャード・スティールRichard Steele とジョゼフ・アディソン Joseph Addison によって創刊された日刊誌。

スペクテイター Wikipedia:The Spectator (英語版)より

『スペクテイター』には数々のコーヒーハウスの名前が登場する。「ウィルズ Will's Coffee House」「セント・ジェームズ St. James's Coffee House 」「グリシアン Grecian Coffee House 」「ココア・トゥリー Cocoa Tree Chocolate House 」「ジョナサンズ Jonathan's Coffee House 」などで、『スペクテイター』の記事は、これらのコーヒーハウスで仕入れたニュースや話題をもとに書かれていた。

タトラー The Tatler 』では、コーヒーハウスごとに、文学のことは「ウィルズ」で得た話題として、「ウイルズ」の欄に、内外のニュースは「セント・ジェイムズ」で得た情報として、「セント・ジェイムズ」の欄に、というような記事掲載の仕方をしていたが、『スペクテイター』では、各コーヒーハウスで得た情報をまとめて、一貫性のあるテーマに従った記事として掲載した。さらに『スペクテイター』には次の特徴があった。まず、ゴシップ記事だけではなくて、文学・学術などのまじめな話題が取り入れられた。さらに当時のジャーナリズムの主流であった政治議論を排した。また、道徳的な配慮をしつつさまざまな話題を掲載した。広告も多く、演劇案内、交際を求めるもの、医薬に関することなど多岐にわたっている。

『スペクテイター』の発行部数は約3000部で、コーヒーハウスが購入をして、そこの常連客が回し読みをしたので、当時のロンドン市民の約1割が読者であったと推測できる。1712年までに555号が発行され、さらに1714年に週3回556号から635号が発行された。後に、これらの記事は8冊の本にまとめられて出版がなされた。アメリカにも読者が多く、ジェームズ・マディソン James Madison (後のアメリカ大統領)の世界観にも影響を与えたという。 (小村嘉人)

参照文献:

・William H. Ukers  "ALL ABOUT COFFEE  Second Edition" 1935年

・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年

・Wikipedia The Spectator (英語版) index.php?title=カテゴリ:書籍