「コーヒー歴史年表」の版間の差分
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
160行目: | 160行目: | ||
|- | |- | ||
|1658年 | |1658年 | ||
| | |オランダ、モカから[[セイロン島(スリランカ)]]へコーヒーを移植。 | ||
|- | |- | ||
|1660年頃 | |1660年頃 |
2024年2月12日 (月) 15:05時点における版
15世紀以前 | <コーヒー全般> <エピソード> |
---|---|
白亜紀(1億3500万〜8500万)年前 | コーヒーノキの祖先(CoffeaとPisilanthus)が白亜紀(1億3500万〜6500万年前)にゴンドワナ大陸に生まれる。 |
1000万〜500万年前 | 現在のコフィア属(カネフォーラ種、ユーゲニオイデス種、リベリカ種等)の祖先がアフリカ大陸の各地域の気候に適応して分岐。 |
数100万〜数10万年前 | ビクトリア湖北西部にカネフォーラ種とユーゲニオイデス種が交配して自家受粉可能な四倍体のアラビカ種の祖先が生まれる。[コラム]アラビカ種の誕生 |
100万〜1万年前 | 現在のアラビカ種の直接の祖先が、エチオピア高原に生き残る。 |
紀元前3世紀 | エチオピアで山羊飼いカルディがコーヒーを発見?(伝説) |
9〜11世紀 | ペルシャの医師・哲学者アル・ラーズィー(ラーゼスRazes)とイブン・スィーナー(アヴィセンナAvicenna)、薬としてコーヒー(ブン、ブンカ、ブンクム)について記述?[コラム]コーヒーを薬として使用か? |
13世紀末 | イスラムの修道僧シェイク・オマルがモカの山中でコーヒー発見(伝説)。[コラム]シェイク・オマルのコーヒー発見伝説。 |
15世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1454年頃 | アデンの律法学者シェイク・ジェマレディンがコーヒーの効用を知り、イスラムの修道僧の間に広める。[コラム①]最初はどんなコーヒーを飲んだのか?[コラム②]コーヒーとワイン、カート |
15世紀末半ば | この頃モカの東、イエメン の山中でコーヒーの栽培始まる?[コラム]いつコーヒーの商業的栽培が始まったのか? |
1470年頃 | シエイク・ジェマレディン死去。 |
15世紀末 | コーヒーの飲用がメッカ、メディナなどアラビア半島南部に広まる。ほぼ同時期にカフェも現れる[コラム]スーフィーによるイスラム世界へのコーヒーの伝播 |
16世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1510年頃 | コーヒーがカイロに広まる。 |
1511年 | メッカで最初のコーヒー、カフェ弾圧。[コラム]イスラム世界でのコーヒー論争と弾圧。 |
1517年 | オスマン・トルコのセリム一世がエジプト征服(マムルク朝)。コーヒーがカイロからコンスタンチノープルに伝わる。 |
1530年頃 | ダマスカスにコーヒー伝わる。コーヒーハウス「バラ」「救済の門」 |
1532年頃 | アレッポにコーヒー伝わる。 |
1534年 | カイロでコーヒー反対運動起こる。 |
1554年 | コンスタンチノープルに最初のコーヒーハウス(トルコではカフェ・カネ)ができる。[コラム]コンスタンティノープルのカフェの姿。 |
1570年頃 | セリム二世(オスマン・トルコ皇帝、在位1566〜74)によるコーヒー弾圧。 |
1580年頃 | ムラト三世(オスマン・トルコ皇帝、在位1574〜92)によるコーヒー弾圧。 |
1582(3)年 | ドイツの医師・植物学者ラウヴォルフが著作(『東方諸国への旅』)の中でコーヒーについて言及。ヨーロッパで初めて印刷物中にコーヒーが登場。[コラム]コーヒーのヨーロッパへの紹介者たち。 |
1585年 | ヴェネチアのトルコ大使、ジャンフランチェスコ・モロシーニ、ヴェネチア評議会にトルコでのコーヒー飲用について報告。 |
1587年 | アブダル・カディール『コーヒーの合法性の擁護』を著述。現存する最古のコーヒー書。[コラム]アブダル・カディールの写本の翻訳と概要。 |
1588年頃 | シャー・アッバスの治世(1588〜1629年)には、ペルシャにカフェが存在したとの記録。 |
1592年 | プロスペロ・アルピーニ、『エジプトの植物』出版。コーヒーの木のデッサンと記述。[コラム]イタリアのコーヒーへの関心の高まり。 |
1595年 | バルダヌス『リンスホーテンの旅』の注でコーヒーに関して記述。イギリスで初めてのコーヒーに関する記述。(英語版は1595年) |
17世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1600年頃 | インドのイスラムの巡礼者ババ・ブダンがモカからマイソールにコーヒーを持ち帰る(伝説?1695年頃という説も)。 |
1600年頃 | ローマ教皇クレメンス八世、コーヒーに洗礼を施す(?伝説)。[コラム]クレメンス八世のコーヒー洗礼は本当か? |
1602年 | ジョン・スミス、『旅と冒険』でコーヒーについて記述。[コラム]イギリス の知識人のコーヒーへの関心の高まりと著作。 |
1607年 | ジョン・スミス、バージニア植民地にコーヒーを持ち込む。 |
1609年 | ウィリアム・ビダルフ、『ある英国人たちのアジア、アフリカその他の地への旅行記』出版。コーヒーについて詳細な記述。 |
1610年 | (オランダ、ヨーロッパに初めて中国、日本から茶を輸送)。[コラム]陶磁器(コーヒーカップ)のヨーロッパへの輸出。 |
1615年 | ピエトロ・デッラ・ヴァレがコーヒーをヴェネツィアに持ち帰る。? |
1616年 | オランダがモカから初めてヨーロッパにコーヒーを輸送。1640年に商業的に輸入が始まる。 |
1620年 | ピルグリム・ファーザーズ、アメリカ入植。コーヒー器具を持ち込む? |
1623年 | フランシス・ベーコン、『死生論』でコーヒーについて記述。 |
1632年 | ロバート・バートン、『メランコリーの解剖学』でコーヒーについて記述。 |
1644年 | ド・ラ・ローク、トルコからマルセイユにコーヒー器具を持ち帰る。[コラム]フランスのコーヒーへの関心の高まり。 |
1645年 | ヴェネチアに最初のカフェ開店(コーヒーが一般化)? |
同 | トルコの使節団がウィーンにコーヒーを紹介。 |
1645頃 | トルコで大宰相キョプリュリュによるカフェの弾圧(トルコでの最後の大規模カフェ弾圧)。 |
1649年 | (清教徒革命) |
1650年 | オックスフォードにイギリス初のコーヒーハウス(「ジェイコブス」)開業。[コラム]ヨーロッパ諸国のカフェの始まり。 |
1652年 | アルメニア人パスクワ・ロゼ、ロンドン初のコーヒーハウス開業。以後、続々とコーヒーハウスが誕生し、17世紀末には3000軒を数える。[コラム]ロゼのコーヒーハウス開業の経緯。 |
1656年頃 | オスマン・トルコの大宰相キョプリュリュによるカフェ弾圧。 |
1657年以前 | ジェイムズ・ファー、「レインボウ」を開業。2番目のコーヒー・ハウス。 |
1657年 | スウエーデンの旅行家ニコラス・ロラン、トルコを使節として訪問。コーヒーの飲み方を報告。 |
同 | ロンドンの「ギャラウェイズ」で茶の販売広告¸[コラム①]コーヒーハウスと茶、チョコレート。[コラム②]コーヒーハウスと広告の誕生。 |
同 | ジャン・ド・テヴノー、パリにコーヒーを紹介。 |
1658年 | オランダ、モカからセイロン島(スリランカ)へコーヒーを移植。 |
1660年頃 | マルセイユでコーヒーが売られる(薬屋)。 |
同 | ロンドンに「ウイルズ」開業。(〜1749年)[コラム]著名なコーヒー・ハウスとコーヒーハウスに通う有名人。 |
1664年 | ハーグにオランダ初のカフェ開業。 |
1665年 | (ロンドンでペスト大流行。) |
1665年頃 | ロンドンの「マイルズ」(コーヒー・ハウス)でロータ・クラブ設立。[コラム]コーヒーハウスとクラブ。 |
1666年 | ロンドン大火。レンガ作りで再建。続々とコーヒーハウス開業。[コラム]代用貨幣の発行 |
1668年 | アメリカ最初のコーヒーに関する記述。 |
1669年 | トルコの大使ソリマン・アガがコーヒーを携えてパリに赴任。上流階級の間でコーヒーがブームになる。[コラム]フランス宮廷人のコーヒー観。 |
同 | ロンドンにロイヤル・エクスチェンジ(商品取引市場)開設。近辺に多数のコーヒーハウス開業。[コラム]コーヒーハウスと商取引 |
1670年 | ノワンエル侯爵、フランス大使としてトルコ訪問¸(1670〜79年)。アブダル・カディールの書、ビチヴィリの写本を持ち帰り、ルイ14世に献上。 |
1671年 | ローマのオリエント語教師ファウスティ・ナイロニが著作の中で「山羊飼のコーヒー発見伝説」を紹介。[コラム]「山羊飼い発見伝説」の真実。 |
同 | マルセイユに初めてのカフェ開業。コーヒー論争起こる。 |
同 | シルヴェストル・デュフール『コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関して』刊行。 |
¸同 | ヘンリー・ブラント(コーヒー・ハウスの父、と呼ばれる)、『レバントへの旅』刊行。 |
1672年 | パリに最初のカフェ。アルメニア人パスカルが露店のカフェを開業。その後、間もなくパスカル、マリバンがカフェを開業。[コラム]「カフェ・プロコプ」以前のカフェ。 |
1674年 | ロンドンで女性たちによるコーヒー禁止の請願。[コラム]女性とコーヒーハウス |
1674〜88年 | ロベール・ボナール(Robert Bonnart)の版画シリーズ(貴族Homme de quarité¸)にコーヒーを飲む貴族の数点のポートレイト。 |
1675年 | チャールズ二世、コーヒー・ハウス禁止令。 |
1676年 | ルイ一四世によりカフェのギルド(カフティエ=リモナディエ=ディスティラトゥールのギルド認可。[コラム]ギルドの排他特権とカフェの商品アイテム。 |
1679年 | ハンブルクにカフェが開業。 |
同 | マルセイユでコーヒーの薬効について論争。 |
1683年 | コルシツキーがウィーン初のカフェ「青い瓶(ブラウエンフラッツェ)」開業(作り話?)。[コラム]コルシツキーの「青い瓶」は作り話!? |
同 | ヴェネツィアのサン・マルコ広場にカフェがあったとの記録。 |
1684年頃 | この頃ロンドンに3000軒のコーヒーハウスとの記述。 |
1684年 | シルヴェストル・デュフール『コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関する新たな興味をそそる概論』刊行。[コラム]デュフールの著作について。 |
1686年 | パリに「プロコプ」開業。フランスのカフェの原型となる。[コラム]「プロコプ」を巡って。 |
1688年 | ロンドンに「ロイズ」開業。→ロンバード・ストリートへ移転(1691年)→クラブを法人化してポープス・ヘッド・アレイに移転(「ニューロイズ」1827年)→株式市場の中に1774年。[コラム]「ロイズ」を巡って。 |
同 | ディオダト、ウィーンにカフェ開業。ウィーンの最初のカフェか。 |
1689年 | (名誉革命) |
同 | ボストンにニュー・イングランド初のコーヒーハウス(「ロンドンコーヒーハウス」)開業。 |
同 | (イギリス東インド会社が初めて中国から直接イギリスに茶を輸送) |
1690年 | ストックホルムに2軒のカフェ。 |
1694年 | ライプチッヒに初のカフェ開業。 |
1696年 | ニューヨークに初のコーヒーハウス開業。 |
1699年 | オランダがジャワにインドのマラバールからコーヒーの苗木を運び、移植に成功。[コラム]イエメンからのコーヒー栽培の伝播¸と経路。 |
同 | アントワーヌ・ガラン、『コーヒーの起源と伝播』を著述。アブダル・カディールの書の抄訳。[コラム]アブダル・カディール写本のガランの抄訳について |
18世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1700年頃 | ロンドンに「トムズ」開業。(〜1814年) |
1702年頃 | ロンドンに「グリシアン」開業。ロイヤル・ソサイェティー(クラブ)結成。 |
1705年 | ロンドンに「セント・ジェイムズ」開業¸。(〜1806年) |
1705年頃 | ジャワからアムステルダムにコーヒーの苗木を移送。 |
1709年 | リチャード・スティール『タトラー』創刊。[コラム]コーヒーハウスと近代ジャーナリズムの誕生。 |
1711年 | ジャワからオランダにコーヒーを輸送。 |
1712年 | スティール、ジョゼフ・アディソンとともに『スペクテイター』創刊 |
同 | ロンドンに「バトンズ」開業。 |
1714年 | アムステルダム市からルイ一四世にコーヒーの苗木を献呈。パリ王立植物園に移植。 |
同 | (ジョージ一世がイギリス国王に。ハノーヴァー朝の成立) |
同 | プラハに初めてのカフェ開業。 |
1715年 | (ルイ一四世崩御。ルイ一五世即位。オルレアン公が摂政に) |
同 | 「カフェ・ド・ラ・パレ・ロワイヤル」が、「カフェ・ド・ラ・レジャンス」に改名。豪華カフェに生まれ変わる(パリ)。[コラム①]ジュール・ミシュレ『フランス史・レジャンス』から。[コラム②]カフェとゲーム(チェス) |
同 | ジャン・ド・ラ・ローク『幸福なアラビアの旅』刊行。コーヒーに関しての記述。 |
同 | ハイチとドミニカにコーヒー栽培が伝わる(ド・クリューと別ルート)。 |
1715年頃 | フランス、モカからコーヒーをブルボン島(現レ=ユニオン島)に移植し栽培に成功。ブルボン種の祖といわれる。[コラム]ブルボン島へのコーヒー移植の経緯。 |
1715年頃 | パリに300軒のカフェ。[コラム]フランス革命以前のパリのカフェ事情 |
1718年 | スリナムにコーヒー栽培が伝わる。 |
1720年 | ヴェネツィアのサン・マルコ広場に「カフェ・フローリアン」開業。[コラム]サン・マルコ広場のカフェ。 |
1721年 | ベルリンに初めてのカフェ開業。 |
1723年 | ガブリエル・ド・クリュー、パリの植物園のコーヒーの苗木をマルチニクに運び栽培に成功。ここからカリブ海・中米諸国に伝播(ティピカ種の祖)。[コラム]マルチニク島へのコーヒー移植の経緯。 |
1725年頃 | ジャワ島がモカに代わって世界最大のコーヒー生産地に。 |
1725年頃 | ヴェネツィア・サン・マルコ広場に「カフェ・クワドリ」開業。 |
1727年 | フランシス・バリェタがフランス領ギアナからパラにコーヒーを持ち帰り、移植に成功。ブラジルのコーヒー栽培の始まり。[コラム]ブラジルのコーヒー栽培の始まり |
1730年頃 | ハイチ島で本格的にコーヒーの栽培が始まる。18世紀後半には世界最大の生産地に。[コラム①]黄金の島、ハイチ(サン=ドマング)。[コラム②]コーヒーと奴隷貿易 |
1730年 | ジャマイカでコーヒーの栽培が始まる。 |
1750頃~ | カリブ海、中南米諸国にコーヒーの栽培が伝わる。キューバ1748年、グァテマラ1760年頃、コスタリカ1774年、ベネズェラ1784年、メキシコ1790年頃、コロンビア18世紀末。コーヒー栽培が本格化するのは19世紀後半以降。[コラム]中南米、カリブ海諸国へのコーヒーの伝播 |
1734年頃 | J.S.バッハ、ライプチッヒのカフェ・ツィンマーマンで「コーヒー・カンタータ」初演。[コラム①]コーヒークレンツヒェンと女性へのコーヒーの流行(ドイツ)。[コラム②]「コーヒー・カンタータ」解釈。 |
1737年 | 「マーチャンツ・コーヒーハウス」開業(ニューヨーク)。[コラム]植民地時代のアメリカ社会とコーヒーハウス。 |
1750年 | カルロ・ゴルドーニの『ボデガ・デル・カフェ』ヴェネツィアで初演。 |
1751年 | 『百科全書』の刊行始まる(〜1772年)。[コラム]百科全書の刊行と「プロコプ」。 |
同 | ウィリアム・ホーガス画『ビール通りとジン横丁』を発表。 |
1752年 | ロンドンに「ラネラ・ガーデン」開業。[コラム]ロンドンのティーガーデン |
1760頃~ | フランスで布で漉す浸漬式の抽出法が普及し始める(ボイル式も継続して行われる)。[コラム]抽出法の多様化。 |
1760年 | ローマに「カフェ・グレコ」開業[コラム]「カフェ・グレコ」は「カフェ・テデスコ」。 |
同 | ブラジルのリオでコーヒー栽培が始まる。 |
1764年 | ミラノで文学誌『イル・カフェ』発刊。 |
1773年 | ボストン茶会事件。コーヒーがアメリカの国民飲料になるきっかけとなる。[コラム]ボストン・ティーパーティーとコーヒー。 |
1776年 | (アメリカ独立宣言) |
1777年 | プロイセンのフリードリヒ2世(大王)、コーヒーの使用を制限する布告。[コラム] |
1784年 | (パレ・ロワイヤルの改装完成(1781年〜))。 |
同 | ベネズエラにコーヒー栽培伝わる。1789年に輸出開始、栽培本格化。 |
1785年頃〜 | オルレアン公(ルイ・フィリップ・ジョゼフ)がパレ・ロワイヤル改装し、賃貸。パレ・ロワイヤルにカフェが集積。フランス革命時には各党派の活動の舞台ともなる。 |
1788年頃 | この頃パリのカフェ、1700軒を数える。 |
1789年 | (フランス革命) |
同 | カミーユ・デムーラン、「カフェ・ド・フォワ」のテラスでアジ演説。バスティーユへの行進のきっかけに(フランス革命の発火点)。 |
同 | ニューヨークの「マーチャンツ・コーヒーハウス」の前でジョージ・ワシントンの歓迎式典が行われる。 |
1791年 | ハイチで反乱発生。内乱でコーヒー生産に大打撃。[コラム] |
1790年頃 | パレ・ロワイヤルに次々にカフェ、レストランが開業。パリ随一の繁華街に。 |
19世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1800年頃 | ドリップ式のコーヒー器具、ド・ベロワのコーヒー・ポット登場。 |
同 | (中国で紅茶=工夫茶の製造始まる) |
1800年頃〜 | パレ・ロワイヤル繁栄の全盛期(1830年頃まで) |
19世紀初頭 | アメリカが世界最大のコーヒー消費国に。 |
19世紀初頭 | スマトラ、セレベスなどでコーヒー栽培が本格化。 |
1802年 | 「カフェ・アングレ」開業。 |
1804年 | (ナポレオン、皇帝に即位。第一帝政始まる)。 |
同 | ハイチが独立(史上初の黒人共和国)。フランス、コーヒーの覇権を失う。 |
1806年 | ナポレオン、大陸封鎖令。コーヒーが不足し、代用コーヒーが横行。 |
¸同 | シルヴェストル・ド・サッシー、アブダル・カディールの『コーヒーの合法性の擁護』を部分訳。 |
1815年 | (フランス、ナポレオンが退位し、王政復古。) |
1815年頃 | ブラジルのフルミネンセ(リオデジャネイロj)でコーヒー生産が急増。 |
1815年頃〜 | オーストリア、ビーダーマイヤー時代(〜48年) |
1816年 | ¸メキシコでコーヒーの商業的栽培始まる。栽培の本格化は1870年代から。 |
1823年 | (インドのアッサム地方で茶の木(アッサム種)発見。 |
1830年 | (フランス、七月王政。) |
1830年頃 | イタリア通りにカフェ=レストランが集積。次第にパレ・ロワイヤルに代わりパリ一の繁華街に。 |
1832年 | パドヴァで「カフェ・ペドロッキ」開業。 |
1835年 | 「カフェ・クランツラー」開業(ベルリン)。 |
1838年 | (インドのアッサムで紅茶の製造始まる。続いてダージリンでも紅茶を製造(1841年)) |
1839年 | バルザック『近代興奮剤考』刊行。 |
1840年 | (アヘン戦争始まる〜1842年) |
1840年頃 | イギリス人ロバート・ナピアーがサイフォンを発明。 |
1843年 | コスタリカ、他の中米諸国に先駆けコーヒー輸出を本格的に開始。 |
1847年 | ウィーンで「カフェ・グリエンシュタイドル」開業。 |
1848年 | フランス、第二共和政。ルイ・ナポレオンが大統領に(1852〜第二帝政)。 |
1850年 | ブラジル、奴隷貿易を禁止。 |
1850年頃~1870年頃 | リオでのコーヒー栽培の黄金時代 |
1850年頃~ | この頃から中米のコーヒー栽培が本格化。先行するコスタリカについでグァテマラ(1850年頃)、エルサルバドル(1852年)、ニカラグァ(1860年代)がコーヒー栽培に取り組み、1870年代から輸出が急増。 |
同 | (ティー・レース始まる。〜1870年頃) |
1852年 | (フランス、第二帝政。ルイ・ナポレオンが皇帝に。) |
同 | (オスマンのパリ大改造始まる(〜1870年)) |
1855年 | (フランス、第一回パリ万博(1867:第二回、1878:第三回)) |
1858年 | ヴィクトリア湖の南でロブスタ発見。新種として報告せず。 |
1860年 | (アメリカ南北戦争(〜65年)) |
1860年頃〜 | (インドでの紅茶生産が軌道に乗る。) |
1861年 | (イタリア王国成立。) |
同 | アフリカでさび病発生。 |
1862年 | 「カフェ・ド・ラ・ペ」開業 |
1864年 | ジェイブズ・バーンズ、新型焙煎機を開発(現在の焙煎機の原型)。 |
1865年 | ジョン・アーバックル、初めてパック詰めにしたコーヒー「アリオーサ」を販売。 |
1867年 | バーンズ、グラニュレーターとコーヒー冷却器を開発。 |
同 | セイロン島(現スリランカ)でさび病発生。コーヒーの生産は19世紀末までに壊滅。徐々に茶に切り替わる。 |
1868年 | インドのニルギリでさび病発生。 |
1870年 | (普仏戦争に敗北。第三共和制へ。) |
1871年 | (ドイツ統一) |
1873年 | 「カフェ・インペリアル」開業(ウィーン) |
1874年 | リベリアでリベリカ種発見。 |
同 | (日本で紅茶製造始まる) |
1875年 | 「カフェ・バウアー」開業(ベルリン) |
1875年頃~ | ブラジル・サンパウロ地方でブルボン種導入始まる。 |
同 | コロンビアのコーヒー栽培が本格化。1880年代から生産が急増。 |
1876年 | 「カフェ・ツェントラル」開業(ウィーン) |
1878年 | ジャワ島でさび病発生。 |
同 | バーンズ、コーヒー、紅茶、香辛料を扱う業界誌『スパイス・ミル』刊行を始める。 |
1880年 | 「カフェ・シュペール」開業(ウィーン) |
1880年頃~ | リオでのコーヒー栽培が徐々に衰退。1888年の奴隷解放により決定的打撃を受ける。 |
1882年頃〜 | コロンビアの中央高地でコーヒーの栽培が本格化。 |
1881年 | ニューヨーク・コーヒー取引所開設。 |
1883年 | (セイロン=スリランカからの紅茶輸出始まる) |
1884年 | この年から、サンパウロを中心にコロノスとしてイタリア移民の導入が本格化。 |
1885年 | 「シャ・ノワール」移転して新装開業。 |
同 | ジャワでさび病蔓延。生産が減少。リベリカへの植え替えが進む。 |
1890年頃 | パリのカフェの集積地、イタリア通りからモンマルトルへ。 |
1888年 | ブラジル、奴隷制廃止。農園からの奴隷の逃亡により、リオのコーヒー生産に壊滅的打撃。コーヒー生産の中心はサンパウロ州に移る |
1890年頃〜 | サンパウロ州が世界最大のコーヒー生産地に。90年代にはブラジルは世界生産量の70〜80%を占める(ブラジルの総輸出の60〜70%) |
1893年 | ジョウエル・チーク、ジョン・ニールとチーク=ニール・コーヒー社(「マックスウェル・ハウス」)をナッシュビルで設立。 |
1895年 | ヨハン・ヤコブス、ブレーメンにコーヒー店開業。(のちのヤコブス社) |
1898年 | ローランがコンゴでロブスタを発見。カネフォーラ種と命名。 |
1899年 | 加藤サルトリがシカゴでインスタント・コーヒーを開発。 |
同 | 「カフェ・ムゼウム」開業(ウィーン) |
同 | サンフランシスコにブランデンシュタイン兄弟(4人)がMJBコーヒー社設立。 |
20世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1900年 | ヒルズ・ブラザーズ社、真空包装缶のコーヒーを発売。 |
1900年頃 | ジャワでロブスタの栽培が始まる。 |
1900年頃〜 | 中南米諸国がコーヒーを大増産。中米諸国は次第にコーヒーのモノカルチャー化。 |
同 | (インドでの紅茶生産が中国を圧倒) |
1901年 | ケニアにレ・ユニオン島からコーヒーを移植、栽培が始まる。続いてタンザニアも栽培開始。 |
同 | イタリア人、ベゼラが蒸気圧による抽出器を発明。エスプレッソ・マシンの原型となる。 |
同 | ブラジル、コーヒー大豊作。世界のコーヒー生産量の81%に達する。 |
1906年 | ルートヴィヒ・ロゼリウス(ドイツ)、カフェインレスコーヒーの特許を取得、会社を設立。 |
1907年 | コーヒー価格の暴落により、ブラジル政府がコーヒー買い上げ(ヴァロリゼーション)。 |
1908年 | メリタ・ベンツがペーパー・ドリップによる抽出器具を開発。 |
同 | (トマス・サリヴァン、ティーパック発明) |
1914年 | 第一次世界大戦始まる(〜1918年) |
1918年 | ブラジルで大霜害。コーヒーの相場が急騰。ヨーロッパの需要回復も要因。 |
1920年頃 | パリのカフェの集積地がモンパルナスへ。(狂乱の時代(〜1930頃)) |
1922年 | W.H.ユーカーズ『オール・アバウト・コーヒー』を刊行(1935年・第2版)。 |
1924年 | エドゥアルト・ショプッフ、ブレーメンにエドショー社を設立(通信販売)。 |
1925年頃〜 | ケニア、タンザニア、ウガンダなどアフリカのヨーロッパ植民地でコーヒー生産が本格化。 |
1927年 | コロンビアが世界第2位のコーヒー生産国に。コロンビア・コーヒー連盟FNC設立。 |
1929年 | (大恐慌。) |
1931年〜 | エルサルバドルに独裁政権(エルナンデス・マルティネス)誕生。その後グァテマラ(1931年)、ニカラグァ(1934年)、ホンジュラス(1932年)で独裁政権が誕生。コーヒー生産は進展したが、土地の集中化が進み、貧富の格差が増大。 |
1933年 | (ナチス、政権掌握) |
1934年 | ブラジル、過剰生産によりコーヒーを焼却。 |
1937年 | ネスレ社がインスタントコーヒーを商品化(「ネスカフェ」)、翌年発売。 |
1941年 | 第二次世界大戦(〜1945) |
1947年 | ガジアがピストン方式のエスプレッソ・マシンを開発。現在のエスプレッソ・マシンの原型となる。 |
1949~54年 | ブラジルの旱魃を引き金にコーヒー価格が上昇、アメリカで薄いコーヒーが蔓延し、インスタントコーヒーの需要が伸びる。 |
1950年頃 | サン=ジェルマン=デ=プレのカフェに実存主義者が集まる(サルトル、ボーボワール) |
同 | ヨーロッパの需要回復によりコーヒー価格が上昇。 |
1953年 | ブラジル霜害によりコーヒー減産。価格が急騰。アメリカでは薄いわゆるアメリカン・コーヒーが流行。 |
1955年頃 | ニューヨークなどでエスプレッソ・コーヒーが流行。 |
1956年 | 西ヨーロッパのコーヒー消費量が第二次大戦前を上回る。 |
1960年 | ブラジル、パラナ州のコーヒー生産量ががサンパウロ州を越える。生産地域の南下が顕著。 |
1962年 | 第一次国際コーヒー協定(ICA)成立。 |
1963年 | 国際コーヒー機構(ICO)設立。 |
1966年 | アメリカ、アルフレッド・ピーツがバークレーに「ピーツ・コーヒー&ティー」開業。スペシャルティコーヒーの先駆け。 |
1969年 | UCC上島コーヒー、世界初の缶コーヒーを発売。 |
1971年 | スターバックス、シアトルに開業 |
1974年 | エルナ・クヌッセン、スペシャルティ・コーヒーの概念を『ティー&コーヒー・ジャーナル』誌上のインタビューで発表。 |
1975年 | ブラジル大霜害。 |
1976年 | ブラジル霜害の影響でICOが輸出総量割当制を実施。 |
1979年〜 | ニカラグァで「サンディニスタ」政権誕生。中米では続いてエルサルバドル、グァテマラでもゲリラの活動が活発化し、混乱の時代に。コーヒー生産も縮小傾向。 |
1979年 | スイスのコフェックス社がスイス・ウォーター方式のカフェインレス・コーヒーを開発。 |
1980年頃〜 | コロンビアでバリエダ・コロンビア品種導入、品質劣化へ。 |
1982年 | アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)設立 |
1983年頃~ | アメリカでのスペシャルティーコーヒーの市場が急速に拡大。 |
1985年 | ブラジルで大旱魃。翌年にコーヒーの相場が急騰。 |
1985年頃〜 | ブラジルのコーヒー栽培の中心が、ミナスジェライス州の高原地域(セラード)に移行。 |
1990年頃~ | ヴェトナムでのコーヒー栽培(主にロブスタ)が本格化。生産量が急速に拡大し2003年には世界第2位の生産国に。 |
1986年 | ハワード・シュルツ、スターバックス社から独立し、エスプレッソ・バー「イル・ジョルナーレ」を開業。 |
1987年 | ハワード・シュルツ、スターバックスの商標を買収し、コーヒーチェーン展開を開始。 |
1995年 | SCAA、コーヒーフレーバーホイールを作成・発表。 |
1997年頃〜 | コーヒー生産におけるサスティナビリティ運動(認証コーヒー)が盛んに。 |
1997年 | オークションシステムによるカップ・オブ・エクセレンスのプロジェクト始まる。1999年に現行の方式に。 |
21世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
2000年 | ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ始まる |
2001年 | 現行の国際コーヒー協定発効。 |
同 | パナマ・オークションでゲイシャ種が最高値を更新。 |
2002年 | ジェイムズ・フリーマン、「ブルー・ボトル」開業。アメリカでサードウェーブのコーヒー流行。 |
2005年頃〜 | パカマラ、ジャバ等のコーヒーの新品種の導入が盛んになる。 |
どう | 中米を中心に新タイプのナチュラル、ハニー(パルプド・ナチュラル)など新たな精製法の研究・開発が進む。 |
2010年頃〜 | ラオス、タイ、ミャンマーなどアジア諸国でコーヒー栽培が盛んになる。 |