「コーヒー歴史年表」の版間の差分
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!<コーヒー全般> <エピソード> | !<コーヒー全般> <エピソード> | ||
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| | |約1400万年前 | ||
|[[ | |[[コフィア属]](コーヒーノキ)の祖先がアフリカ大陸(中央アフリカ)に生まれる。 | ||
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|1000万〜500万年前 | |1000万〜500万年前 | ||
|現在の[[コフィア属]] | |現在の[[コフィア属]]([[アラビカ種]]、[[カネフォラ種]]、[[ユーゲニオイデス種]]、[[リベリカ種]]等)の祖先がアフリカ大陸の各地域の気候に適応して分岐。 | ||
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|数100万〜数10万年前 | |数100万〜数10万年前 | ||
| | |ビクトリア湖北西部に[[カネフォラ種]]と[[ユーゲニオイデス種]]が交配して自家受粉可能な四倍体の[[アラビカ種]]の祖先が生まれる。 [[*アラビカ種の誕生と旅立ち]] | ||
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|100万〜1万年前 | |100万〜1万年前 | ||
| | |現在の[[アラビカ種]]の直接の祖先が、[[エチオピア高原]]に生き残る。 | ||
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|紀元前3世紀 | |紀元前3世紀 | ||
| | |エチオピアで山羊飼いカルディがコーヒーを発見(伝説)?([[「山羊飼いコーヒー発見伝説」]]) | ||
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|9〜11世紀 | |9〜11世紀 | ||
| | |ペルシャの医師・哲学者[[アル・ラーズィー(ラーゼス)]]と[[イブン・スィーナー(アヴィセンナ)]]が、薬としてコーヒー(ブン、ブンカ、ブンクム)について記述?[コラム]コーヒーを薬として使用か? | ||
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|13世紀末 | |13世紀末 | ||
| | |イスラムの修道僧シェイク・オマルが[[モカ]]の山中でコーヒー発見(伝説)。[コラム]シェイク・オマルのコーヒー発見伝説。 | ||
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!15世紀 | !15世紀 | ||
28行目: | 28行目: | ||
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|1454年頃 | |1454年頃 | ||
| | |アデンの律法学者[[シェイク・ジェマレディン]](ザブハーニー)がコーヒーの効用を知り、イスラムの修道僧の間に広める。[コラム①]最初はどんなコーヒーを飲んだのか?[コラム②]コーヒーとワイン、カート | ||
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|[[ | |15世紀半ば | ||
|この頃[[モカ]]の東、イエメン の山中でコーヒーの栽培始まる?[コラム]いつコーヒーの栽培が始まったのか? | |||
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|1470年頃 | |1470年頃 | ||
| | |[[シェイク・ジェマレディン]]死去。 | ||
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|15世紀末 | |15世紀末 | ||
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|1517年 | |1517年 | ||
| | |オスマン・トルコ皇帝[[セリム一世]]がエジプト征服(マムルク朝)。コーヒーがカイロからコンスタンチノープルに伝わる。 | ||
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|1530年頃 | |1530年頃 | ||
| | |ダマスカスにコーヒー伝わる。コーヒーハウス「バラ」「救済の門」ができる。 | ||
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|1532年頃 | |1532年頃 | ||
61行目: | 61行目: | ||
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|1554年 | |1554年 | ||
| | |コンスタンチノープルにコーヒーハウス(トルコではカフェ・カネ)ができる。[コラム]コンスタンティノープルのカフェの姿。 | ||
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|1570年頃 | |1570年頃 | ||
| | |オスマン・トルコ皇帝セリム二世(在位1566〜74)によるコーヒー弾圧。 | ||
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|1580年頃 | |1580年頃 | ||
| | |オスマン・トルコ皇帝ムラト三世(在位1574〜92)によるコーヒー弾圧。 | ||
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|1582(3)年 | |1582(3)年 | ||
|ドイツの医師・植物学者[[ | |ドイツの医師・植物学者[[レオンハルト・ラウヴォルフ]]が著作(『[[東方諸国への旅Journey into the eastern countries|東方諸国への旅]]』)の中でコーヒーについて言及。ヨーロッパで初めて印刷物中にコーヒーが登場。[コラム]コーヒーのヨーロッパへの紹介者たち。 | ||
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|1585年 | |1585年 | ||
76行目: | 76行目: | ||
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|1587年 | |1587年 | ||
| | |[[アブダル・カディール]]『コーヒーの合法性の擁護』を著述。現存する最古のコーヒー書。[コラム]アブダル・カディールの写本の翻訳と概要 | ||
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|1588年頃 | |1588年頃 | ||
82行目: | 82行目: | ||
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|1592年 | |1592年 | ||
| | |[[プロスペロ・アルピーニ]]、[[『エジプトの植物』]]出版。コーヒーの木のデッサンと記述。[コラム]イタリアのコーヒーへの関心の高まり | ||
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|1595年 | |1595年 | ||
|[[バルダヌス]] | |[[バルダヌス]]『[[リンスホーテン]]の旅』の注でコーヒーに関して記述。イギリスで初めてのコーヒーに関する記述。 | ||
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!17世紀 | !17世紀 | ||
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|1600年頃 | |1600年頃 | ||
|インドのイスラムの巡礼者[[ババ・ブダン]] | |インドのイスラムの巡礼者[[ババ・ブダン]]がモカからマイソールにコーヒーを持ち帰る(伝説?1640年、1695年頃という説も)。 | ||
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|1600年頃 | |1600年頃 | ||
| | |ローマ教皇[[クレメンス八世]]、コーヒーに洗礼を施す(?伝説)。[[*コラム:クレメンス八世のコーヒー洗礼は本当か?]] | ||
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|1602年 | |1602年 | ||
106行目: | 106行目: | ||
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|1610年 | |1610年 | ||
|(オランダ、ヨーロッパに初めて中国、日本から茶を輸送)。[コラム] | |(オランダ、ヨーロッパに初めて中国、日本から茶を輸送)。[コラム]陶磁器(コーヒーカップ)のヨーロッパへの輸出 | ||
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| | |1614年 | ||
| | |[[ピエトロ・デッラ・ヴァッレ]]がコーヒーをヴェネツィアに持ち帰る。? | ||
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|1616年 | |1616年 | ||
124行目: | 124行目: | ||
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|1644年 | |1644年 | ||
| | |[[ピエール・ド・ラ・ローク|ド・ラ・ローク]]、トルコからマルセイユにコーヒー器具を持ち帰る。[[*コラム:フランスのコーヒーへの関心の高まり。]] | ||
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|1645年 | |1645年 | ||
131行目: | 131行目: | ||
|同 | |同 | ||
|トルコの使節団がウィーンにコーヒーを紹介。 | |トルコの使節団がウィーンにコーヒーを紹介。 | ||
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|1649年 | |1649年 | ||
139行目: | 136行目: | ||
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|1650年 | |1650年 | ||
| | |オックスフォードにイギリス初のコーヒーハウス(「[[ジェイコブズ]]」)開業。 [[*コラム:ヨーロッパ諸国のカフェの始まり]] | ||
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|1652年 | |1652年 | ||
| | |アルメニア人[[パスカ・ロゼ]]、ロンドン初のコーヒーハウス開業。以後、続々とコーヒーハウスが誕生し、17世紀末には3000軒を数える。[[*コラム:ロゼのコーヒーハウス開業の経緯|*コラム:ロゼのコーヒーハウス開業の経緯。]] | ||
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|1656年頃 | |1656年頃 | ||
| | |オスマン・トルコの大宰相[[キョプリュリュ]]によるカフェ弾圧。 | ||
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|1657年以前 | |1657年以前 | ||
| | |[[ジェイムズ・ファー]]、「[[レインボウ]]」(ロンドン)を開業。ロンドンで2番目のコーヒー・ハウス。 | ||
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|1657年 | |1657年 | ||
| | |スウエーデンの旅行家[[クレス・ロラン]]、トルコを使節として訪問。コーヒーの飲み方を報告。 | ||
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| | |1657年 | ||
| | |ロンドンの「[[ギャラウェイズ]]」で茶の販売広告¸[[*コラム:コーヒーハウスと茶、チョコレート]] [[コーヒーハウスと広告の誕生|*コラム:コーヒーハウスと広告の誕生]] | ||
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| | |1657年 | ||
| | |[[ジャン・ド・テヴノー]]、パリにコーヒーを紹介。 | ||
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|1658年 | |1658年 | ||
163行目: | 160行目: | ||
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|1660年頃 | |1660年頃 | ||
| | |「[[マイルズ・コーヒーハウス]]」(ロンドン)に[[ロータ・クラブ]]設立。[コラム]コーヒーハウスとクラブ | ||
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|1660年頃 | |||
|[[マルセイユ]]でコーヒーが売られる(薬屋)。 | |||
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| | |1660年頃 | ||
| | |「[[ウイルズ・コーヒーハウス]]」(ロンドン)開業。(〜1749年)[コラム]著名なコーヒー・ハウスとコーヒーハウスに通う有名人 | ||
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|1664年 | |1664年 | ||
174行目: | 174行目: | ||
|(ロンドンでペスト大流行。) | |(ロンドンでペスト大流行。) | ||
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| | |1665年 | ||
| | |「グリシアン・コーヒーハウス」(ロンドン)開業。 | ||
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|1666年 | |1666年 | ||
|ロンドン大火。レンガ作りで再建。続々とコーヒーハウス開業。[コラム]代用貨幣の発行 | |ロンドン大火。レンガ作りで再建。続々とコーヒーハウス開業。[コラム][[代用貨幣の発行]] | ||
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|1668年 | |1668年 | ||
184行目: | 184行目: | ||
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|1669年 | |1669年 | ||
| | |トルコの大使[[ソリマン・アガ]]がコーヒーを携えてパリに赴任。上流階級の間でコーヒーがブームになる。[[*コラム:セヴィニェ夫人とフランス宮廷人のコーヒー観。]] | ||
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| | |1669年 | ||
|ロンドンにロイヤル・エクスチェンジ(商品取引市場)開設。近辺に多数のコーヒーハウス開業。[コラム]コーヒーハウスと商取引 | |ロンドンにロイヤル・エクスチェンジ(商品取引市場)開設。近辺に多数のコーヒーハウス開業。[コラム]コーヒーハウスと商取引 | ||
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|1670年 | |1670年 | ||
| | |[[ノワンエル侯爵]]、フランス大使としてトルコ訪問¸(1670〜79年)。[[アブダル・カディールの書]]、[[ビチヴィリの写本]]を持ち帰り、ルイ一四世に献上。 | ||
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|1671年 | |1671年 | ||
| | |ローマのオリエント語教師[[ファウスト・ナイロニ]]が著作の中で[[「山羊飼いコーヒー発見伝説」]]を紹介。[[*コラム:「山羊飼いコーヒー発見伝説」の真実]] | ||
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| | |1671年 | ||
| | |[[マルセイユ]]にフランス初めてのカフェ開業。 | ||
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| | |1671年 | ||
| | |[[シルヴェストル・デュフール]]『コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関して』刊行。 | ||
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| | |1671年 | ||
| | |[[ヘンリー・ブラント]](コーヒー・ハウスの父、と呼ばれる)、『レバントへの旅』刊行。 | ||
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|1672年 | |1672年 | ||
| | |パリに最初のカフェ。アルメニア人[[パスカル]]が露店のカフェを開業。[[*コラム:「カフェ・プロコプ」以前のカフェ]] [[*コラム:コーヒーの呼び売りカンディオ]] | ||
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|1674年 | |1674年 | ||
|ロンドンで女性たちによるコーヒー禁止の請願。[ | |ロンドンで女性たちによるコーヒー禁止の請願。[[*コラム:女性のコーヒーハウスへの反感]] | ||
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|1674〜88年 | |1674〜88年 | ||
214行目: | 214行目: | ||
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|1675年 | |1675年 | ||
| | |[[チャールズ二世]]、コーヒー・ハウス禁止令。 | ||
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|1676年 | |1676年 | ||
|ルイ一四世によりカフェのギルド(カフティエ=リモナディエ=ディスティラトゥールのギルド認可。[コラム] | |ルイ一四世によりカフェのギルド(カフティエ=リモナディエ=ディスティラトゥールのギルド認可。[コラム]ギルドの排他特権とカフェの商品アイテム | ||
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|1679年 | |1679年 | ||
|ハンブルクにカフェが開業。 | |ハンブルクにカフェが開業。 | ||
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| | |1679年 | ||
| | |[[マルセイユ]]でコーヒーの薬効について論争。 | ||
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|1683年 | |1683年 | ||
| | |[[コルシツキー]]がウィーン初のカフェ「[[青い瓶(ブラウエン・フラッツェ)]]」開業(作り話?)。[コラム]コルシツキーの「青い瓶」は作り話? | ||
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| | |1683年 | ||
|ヴェネツィアのサン・マルコ広場にカフェがあったとの記録。 | |ヴェネツィアのサン・マルコ広場にカフェがあったとの記録。 | ||
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235行目: | 235行目: | ||
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|1684年 | |1684年 | ||
| | |[[シルヴェストル・デュフール]][[『コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関する新たな興味をそそる論説』]]刊行。 | ||
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|1686年 | |1686年 | ||
|パリに「プロコプ」開業。フランスのカフェの原型となる。[コラム] | |パリに「プロコプ」開業。フランスのカフェの原型となる。[コラム]「プロコプ」を巡って | ||
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|1688年 | |1688年 | ||
| | |ロンドンに「[[ロイズ]]」開業。→ロンバード・ストリートへ移転(1691年)→クラブを法人化してポープス・ヘッド・アレイに移転(「ニューロイズ」1827年)→株式市場の中に1774年。[コラム][[コラム:ロイズを巡って|「ロイズ」を巡って]] | ||
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| | |1688年 | ||
| | |[[ヨハネス・ディオダド]]、ウィーンにカフェ開業。ウィーンの最初のカフェか。 | ||
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|1689年 | |1689年 | ||
|(名誉革命) | |(名誉革命) | ||
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| | |1689年 | ||
|ボストンにニュー・イングランド初のコーヒーハウス(「ロンドンコーヒーハウス」)開業。 | |ボストンにニュー・イングランド初のコーヒーハウス(「ロンドンコーヒーハウス」)開業。 | ||
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| | |1689年 | ||
|(イギリス東インド会社が初めて中国から直接イギリスに茶を輸送) | |(イギリス東インド会社が初めて中国から直接イギリスに茶を輸送) | ||
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263行目: | 263行目: | ||
|1696年 | |1696年 | ||
|ニューヨークに初のコーヒーハウス開業。 | |ニューヨークに初のコーヒーハウス開業。 | ||
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|1698年頃 | |||
|「ココアトゥリー(コーヒーハウス)」(ロンドン)開業。 | |||
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|1699年 | |1699年 | ||
|オランダが[[ジャワ]]にインドのマラバールからコーヒーの苗木を運び、移植に成功。[コラム] | |オランダが[[ジャワ]]にインドのマラバールからコーヒーの苗木を運び、移植に成功。[コラム]イエメンからのコーヒー栽培の伝播¸と経路 | ||
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| | |1699年 | ||
|アントワーヌ・ガラン、『コーヒーの起源と伝播』を著述。アブダル・カディールの書の抄訳。[コラム]アブダル・カディール写本のガランの抄訳について | |アントワーヌ・ガラン、『コーヒーの起源と伝播』を著述。アブダル・カディールの書の抄訳。[コラム]アブダル・カディール写本のガランの抄訳について | ||
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274行目: | 277行目: | ||
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|1700年頃 | |1700年頃 | ||
| | |ロンドンに「[[トムズ]]」開業。(〜1814年) | ||
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|1702年頃 | |1702年頃 | ||
280行目: | 283行目: | ||
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|1705年 | |1705年 | ||
| | |「[[セント・ジェイムズ・コーヒーハウス]]」開業(ロンドン)。 | ||
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|1705年頃 | |1705年頃 | ||
| | |[[ジャワ]]からアムステルダムにコーヒーの苗木を移送。 | ||
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|1709年 | |1709年 | ||
|リチャード・スティール『タトラー』創刊。[コラム] | |リチャード・スティール『タトラー』創刊。[コラム]コーヒーハウスと近代ジャーナリズムの誕生 | ||
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|1711年 | |1711年 | ||
| | |[[ジャワ]]からオランダにコーヒーを輸送。 | ||
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| | |1711年 | ||
|スティール、ジョゼフ・アディソンとともに『スペクテイター』創刊 | |スティール、ジョゼフ・アディソンとともに『スペクテイター』創刊 | ||
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| | |1711年 | ||
| | |「バトンズ・コーヒーハウス」(ロンドン)開業。 | ||
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|1714年 | |1714年 | ||
|アムステルダム市からルイ一四世にコーヒーの苗木を献呈。[[パリ植物園|パリ王立植物園]]に移植。 | |アムステルダム市からルイ一四世にコーヒーの苗木を献呈。[[パリ植物園|パリ王立植物園]]に移植。 | ||
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| | |1714年 | ||
|(ジョージ一世がイギリス国王に。ハノーヴァー朝の成立) | |(ジョージ一世がイギリス国王に。ハノーヴァー朝の成立) | ||
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| | |1714年 | ||
| | |プラハ初めてのカフェ開業。 | ||
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|1715年 | |1715年 | ||
|(ルイ一四世崩御。ルイ一五世即位。オルレアン公が摂政に) | |(ルイ一四世崩御。ルイ一五世即位。オルレアン公が摂政に) | ||
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| | |1715年 | ||
|「カフェ・ド・ラ・パレ・ロワイヤル」が、「カフェ・ド・ラ・レジャンス」に改名。豪華カフェに生まれ変わる(パリ)。[コラム①] | |「カフェ・ド・ラ・パレ・ロワイヤル」が、「カフェ・ド・ラ・レジャンス」に改名。豪華カフェに生まれ変わる(パリ)。[コラム①]ジュール・ミシュレ『フランス史・レジャンス』から [コラム②]カフェとゲーム(チェス) | ||
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| | |1715年 | ||
|ジャン・ド・ラ・ローク『幸福なアラビアの旅』刊行。コーヒーに関しての記述。 | |ジャン・ド・ラ・ローク『幸福なアラビアの旅』刊行。コーヒーに関しての記述。 | ||
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| | |1715年 | ||
|[[ハイチ]]と[[ドミニカ]]にコーヒー栽培が伝わる([[ド・クリュー]]と別ルート)。 | |[[ハイチ]]と[[ドミニカ]]にコーヒー栽培が伝わる([[ド・クリュー]]と別ルート)。 | ||
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|1715年頃 | |1715年頃 | ||
| | |フランス、[[モカ]]からコーヒーを[[ブルボン島]](現レ=ユニオン島)に移植し栽培に成功。ブルボン種の祖といわれる。[コラム]ブルボン島へのコーヒー移植の経緯。 | ||
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|1715年頃 | |1715年頃 | ||
328行目: | 331行目: | ||
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|1720年 | |1720年 | ||
|ヴェネツィアのサン・マルコ広場に「カフェ・フローリアン」開業。[コラム] | |ヴェネツィアのサン・マルコ広場に「カフェ・フローリアン」開業。[コラム]サン・マルコ広場のカフェ | ||
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|1721年 | |1721年 | ||
334行目: | 337行目: | ||
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|1723年 | |1723年 | ||
|ガブリエル・ド・クリュー、パリの植物園のコーヒーの苗木をマルチニクに運び栽培に成功。ここからカリブ海・中米諸国に伝播(ティピカ種の祖)。[コラム] | |ガブリエル・ド・クリュー、パリの植物園のコーヒーの苗木をマルチニクに運び栽培に成功。ここからカリブ海・中米諸国に伝播(ティピカ種の祖)。[コラム]マルチニク島へのコーヒー移植の経緯 | ||
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|1725年頃 | |1725年頃 | ||
| | |[[ジャワ]]島が[[モカ]]に代わって世界最大のコーヒー生産地に。 | ||
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|1725年頃 | |1725年頃 | ||
346行目: | 349行目: | ||
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|1730年頃 | |1730年頃 | ||
|ハイチ島で本格的にコーヒーの栽培が始まる。18世紀後半には世界最大の生産地に。[コラム①] | |ハイチ島で本格的にコーヒーの栽培が始まる。18世紀後半には世界最大の生産地に。[コラム①]黄金の島、ハイチ(サン=ドマング) [コラム②]コーヒーと奴隷貿易 | ||
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|1730年 | |1730年 | ||
352行目: | 355行目: | ||
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|1750頃~ | |1750頃~ | ||
| | |[[カリブ海、中南米諸国にコーヒーの栽培が伝わる]]。キューバ1748年、グァテマラ1760年頃、コスタリカ1774年、ベネズェラ1784年、メキシコ1790年頃、コロンビア18世紀末。コーヒー栽培が本格化するのは19世紀後半以降。[コラム]中南米、[[カリブ海諸国]]へのコーヒーの伝播 | ||
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|1734年頃 | |1734年頃 | ||
|J.S.バッハ、ライプチッヒのカフェ・ツィンマーマンで「コーヒー・カンタータ」初演。[コラム①]コーヒークレンツヒェンと女性へのコーヒーの流行(ドイツ)。[コラム②] | |J.S.バッハ、ライプチッヒのカフェ・ツィンマーマンで「コーヒー・カンタータ」初演。[コラム①]コーヒークレンツヒェンと女性へのコーヒーの流行(ドイツ)。[コラム②]「コーヒー・カンタータ」解釈 | ||
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|1737年 | |1737年 | ||
|「マーチャンツ・コーヒーハウス」開業(ニューヨーク)。[コラム] | |「マーチャンツ・コーヒーハウス」開業(ニューヨーク)。[コラム]植民地時代のアメリカ社会とコーヒーハウス | ||
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|1750年 | |1750年 | ||
364行目: | 367行目: | ||
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|1751年 | |1751年 | ||
|『百科全書』の刊行始まる(〜1772年)。[コラム] | |『百科全書』の刊行始まる(〜1772年)。[コラム]百科全書の刊行と「プロコプ」 | ||
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| | |1751年 | ||
| | |ウィリアム・ホーガス画『[[ビール通りとジン横丁]]』を発表。*[[コラム:18世紀ロンドンの居酒屋事情]] | ||
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|1752年 | |1752年 | ||
| | |ロンドンに「[[ラネラ・ガーデン]]」開業。[コラム]ロンドンのティーガーデン | ||
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| | |1760年 | ||
| | |ローマに「カフェ・グレコ」開業。[コラム]「カフェ・グレコ」は「カフェ・テデスコ」 | ||
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|1760年 | |1760年 | ||
| | |[[ブラジルのリオでコーヒー栽培が始まる]]。 | ||
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| | |1760年頃 | ||
| | |フランスで布で漉す浸漬式の抽出法が普及し始める(ボイル式も継続して行われる)。[コラム]抽出法の多様化 | ||
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|1764年 | |1764年 | ||
391行目: | 394行目: | ||
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|1777年 | |1777年 | ||
|プロイセンのフリードリヒ2世(大王)、コーヒーの使用を制限する布告。[コラム] | |プロイセンのフリードリヒ2世(大王)、コーヒーの使用を制限する布告。[コラム]コーヒー禁止の影響 | ||
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|1784年 | |1784年 | ||
|(パレ・ロワイヤルの改装完成(1781年〜))。 | |(パレ・ロワイヤルの改装完成(1781年〜))。 | ||
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| | |1784年 | ||
|ベネズエラにコーヒー栽培伝わる。1789年に輸出開始、栽培本格化。 | |ベネズエラにコーヒー栽培伝わる。1789年に輸出開始、栽培本格化。 | ||
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408行目: | 411行目: | ||
|(フランス革命) | |(フランス革命) | ||
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| | |1789年 | ||
|カミーユ・デムーラン、「カフェ・ド・フォワ」のテラスでアジ演説。バスティーユへの行進のきっかけに(フランス革命の発火点)。 | |カミーユ・デムーラン、「カフェ・ド・フォワ」のテラスでアジ演説。バスティーユへの行進のきっかけに(フランス革命の発火点)。 | ||
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| | |1789年 | ||
|ニューヨークの「マーチャンツ・コーヒーハウス」の前でジョージ・ワシントンの歓迎式典が行われる。 | |ニューヨークの「マーチャンツ・コーヒーハウス」の前でジョージ・ワシントンの歓迎式典が行われる。 | ||
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|1791年 | |1791年 | ||
|ハイチで反乱発生。内乱でコーヒー生産に大打撃。[コラム] | |ハイチで反乱発生。内乱でコーヒー生産に大打撃。[コラム]ハイチの独立とコーヒー | ||
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|1790年頃 | |1790年頃 | ||
426行目: | 429行目: | ||
|ドリップ式のコーヒー器具、ド・ベロワのコーヒー・ポット登場。 | |ドリップ式のコーヒー器具、ド・ベロワのコーヒー・ポット登場。 | ||
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| | |1800年頃 | ||
|(中国で紅茶=工夫茶の製造始まる) | |(中国で紅茶=工夫茶の製造始まる) | ||
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|(ナポレオン、皇帝に即位。第一帝政始まる)。 | |(ナポレオン、皇帝に即位。第一帝政始まる)。 | ||
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| | |1804年 | ||
|ハイチが独立(史上初の黒人共和国)。フランス、コーヒーの覇権を失う。 | |ハイチが独立(史上初の黒人共和国)。フランス、コーヒーの覇権を失う。 | ||
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450行目: | 453行目: | ||
|ナポレオン、大陸封鎖令。コーヒーが不足し、代用コーヒーが横行。 | |ナポレオン、大陸封鎖令。コーヒーが不足し、代用コーヒーが横行。 | ||
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| | |1806年 | ||
|シルヴェストル・ド・サッシー、アブダル・カディールの『コーヒーの合法性の擁護』を部分訳。 | |シルヴェストル・ド・サッシー、アブダル・カディールの『コーヒーの合法性の擁護』を部分訳。 | ||
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457行目: | 460行目: | ||
|- | |- | ||
|1815年頃 | |1815年頃 | ||
| | |ブラジルの[[フルミネンセ]](リオデジャネイロ)でコーヒー生産が急増。 | ||
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|1815年頃〜 | |1815年頃〜 | ||
478行目: | 481行目: | ||
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|1835年 | |1835年 | ||
| | |「[[カフェ・クランツラー]]」開業(ベルリン)。 | ||
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|1838年 | |1838年 | ||
496行目: | 499行目: | ||
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|1847年 | |1847年 | ||
| | |ウィーンで「[[カフェ・グリエンシュタイドル]]」開業。 | ||
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|1848年 | |1848年 | ||
510行目: | 513行目: | ||
|この頃から中米のコーヒー栽培が本格化。先行するコスタリカについでグァテマラ(1850年頃)、エルサルバドル(1852年)、ニカラグァ(1860年代)がコーヒー栽培に取り組み、1870年代から輸出が急増。 | |この頃から中米のコーヒー栽培が本格化。先行するコスタリカについでグァテマラ(1850年頃)、エルサルバドル(1852年)、ニカラグァ(1860年代)がコーヒー栽培に取り組み、1870年代から輸出が急増。 | ||
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| | |1850年頃〜 | ||
|(ティー・レース始まる。〜1870年頃) | |(ティー・レース始まる。〜1870年頃) | ||
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516行目: | 519行目: | ||
|(フランス、第二帝政。ルイ・ナポレオンが皇帝に。) | |(フランス、第二帝政。ルイ・ナポレオンが皇帝に。) | ||
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| | |1852年 | ||
|(オスマンのパリ大改造始まる(〜1870年)) | |(オスマンのパリ大改造始まる(〜1870年)) | ||
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534行目: | 537行目: | ||
|(イタリア王国成立。) | |(イタリア王国成立。) | ||
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| | |1861年 | ||
| | |アフリカで[[さび病]]発生。 | ||
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|1862年 | |1862年 | ||
545行目: | 548行目: | ||
|1865年 | |1865年 | ||
|ジョン・アーバックル、初めてパック詰めにしたコーヒー「アリオーサ」を販売。 | |ジョン・アーバックル、初めてパック詰めにしたコーヒー「アリオーサ」を販売。 | ||
|- | |||
|1865年 | |||
|「[[ロイヤル・コーヒーハウス]]」(ロンドン)開業。 | |||
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|1867年 | |1867年 | ||
|バーンズ、グラニュレーターとコーヒー冷却器を開発。 | |バーンズ、グラニュレーターとコーヒー冷却器を開発。 | ||
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| | |1867年 | ||
| | |セイロン島(現スリランカ)で[[さび病]]発生。コーヒーの生産は19世紀末までに壊滅。徐々に茶に切り替わる。 | ||
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|1868年 | |1868年 | ||
| | |インドのニルギリで[[さび病]]発生。 | ||
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|1870年 | |1870年 | ||
562行目: | 568行目: | ||
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|1873年 | |1873年 | ||
| | |「[[カフェ・インペリアル]]」開業(ウィーン) | ||
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|1874年 | |1874年 | ||
| | |リベリアで[[リベリカ種]]発見。 | ||
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| | |1874年 | ||
|(日本で紅茶製造始まる) | |(日本で紅茶製造始まる) | ||
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|1875年 | |1875年 | ||
| | |「[[カフェ・バウアー]]」開業(ベルリン) | ||
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|1875年頃~ | |1875年頃~ | ||
| | |ブラジル・サンパウロ地方で[[ブルボン種]]導入始まる。 | ||
|- | |- | ||
| | |1875年頃〜 | ||
|コロンビアのコーヒー栽培が本格化。1880年代から生産が急増。 | |コロンビアのコーヒー栽培が本格化。1880年代から生産が急増。 | ||
|- | |- | ||
|1876年 | |1876年 | ||
| | |「[[カフェ・ツェントラル]]」開業(ウィーン) | ||
|- | |||
|1876年 | |||
|ジャワ島、スマトラ島で[[さび病]]発生。 | |||
|- | |- | ||
|1878年 | |1878年 | ||
|バーンズ、コーヒー、紅茶、香辛料を扱う業界誌『スパイス・ミル』刊行を始める。 | |バーンズ、コーヒー、紅茶、香辛料を扱う業界誌『スパイス・ミル』刊行を始める。 | ||
|- | |- | ||
|1880年 | |1880年 | ||
| | |「[[カフェ・シュペール]]」開業(ウィーン) | ||
|- | |- | ||
|1880年頃~ | |1880年頃~ | ||
609行目: | 615行目: | ||
|「シャ・ノワール」移転して新装開業。 | |「シャ・ノワール」移転して新装開業。 | ||
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| | |1885年 | ||
| | |ジャワで[[さび病]]蔓延。生産が減少。リベリカへの植え替えが進む。 | ||
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|1890年頃 | |1890年頃 | ||
633行目: | 639行目: | ||
|加藤サルトリがシカゴでインスタント・コーヒーを開発。 | |加藤サルトリがシカゴでインスタント・コーヒーを開発。 | ||
|- | |- | ||
| | |1899年 | ||
| | |「[[カフェ・ムゼウム]]」開業(ウィーン) | ||
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| | |1899年 | ||
|サンフランシスコにブランデンシュタイン兄弟(4人)がMJBコーヒー社設立。 | |サンフランシスコにブランデンシュタイン兄弟(4人)がMJBコーヒー社設立。 | ||
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651行目: | 657行目: | ||
|中南米諸国がコーヒーを大増産。中米諸国は次第にコーヒーのモノカルチャー化。 | |中南米諸国がコーヒーを大増産。中米諸国は次第にコーヒーのモノカルチャー化。 | ||
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| | |1900年頃〜 | ||
|(インドでの紅茶生産が中国を圧倒) | |(インドでの紅茶生産が中国を圧倒) | ||
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657行目: | 663行目: | ||
|ケニアにレ・ユニオン島からコーヒーを移植、栽培が始まる。続いてタンザニアも栽培開始。 | |ケニアにレ・ユニオン島からコーヒーを移植、栽培が始まる。続いてタンザニアも栽培開始。 | ||
|- | |- | ||
| | |1901年 | ||
|イタリア人、ベゼラが蒸気圧による抽出器を発明。エスプレッソ・マシンの原型となる。 | |イタリア人、ベゼラが蒸気圧による抽出器を発明。エスプレッソ・マシンの原型となる。 | ||
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| | |1901年 | ||
|ブラジル、コーヒー大豊作。世界のコーヒー生産量の81%に達する。 | |ブラジル、コーヒー大豊作。世界のコーヒー生産量の81%に達する。 | ||
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672行目: | 678行目: | ||
|[[メリタ・ベンツ]]がペーパー・ドリップによる抽出器具を開発。 | |[[メリタ・ベンツ]]がペーパー・ドリップによる抽出器具を開発。 | ||
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| | |1908年 | ||
|(トマス・サリヴァン、ティーパック発明) | |(トマス・サリヴァン、ティーパック発明) | ||
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|1914年 | |1914年 | ||
| | |(第一次世界大戦始まる。〜1918年) | ||
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|1918年 | |1918年 | ||
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|サン=ジェルマン=デ=プレのカフェに実存主義者が集まる(サルトル、ボーボワール) | |サン=ジェルマン=デ=プレのカフェに実存主義者が集まる(サルトル、ボーボワール) | ||
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| | |1950年頃 | ||
|ヨーロッパの需要回復によりコーヒー価格が上昇。 | |ヨーロッパの需要回復によりコーヒー価格が上昇。 | ||
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810行目: | 816行目: | ||
|現行の国際コーヒー協定発効。 | |現行の国際コーヒー協定発効。 | ||
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| | |2001年 | ||
|パナマ・オークションでゲイシャ種が最高値を更新。 | |パナマ・オークションでゲイシャ種が最高値を更新。 | ||
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|パカマラ、ジャバ等のコーヒーの新品種の導入が盛んになる。 | |パカマラ、ジャバ等のコーヒーの新品種の導入が盛んになる。 | ||
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| | |同 | ||
|中米を中心に新タイプのナチュラル、ハニー(パルプド・ナチュラル)など新たな精製法の研究・開発が進む。 | |中米を中心に新タイプのナチュラル、ハニー(パルプド・ナチュラル)など新たな精製法の研究・開発が進む。 | ||
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2024年12月28日 (土) 04:16時点における最新版
15世紀以前 | <コーヒー全般> <エピソード> |
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約1400万年前 | コフィア属(コーヒーノキ)の祖先がアフリカ大陸(中央アフリカ)に生まれる。 |
1000万〜500万年前 | 現在のコフィア属(アラビカ種、カネフォラ種、ユーゲニオイデス種、リベリカ種等)の祖先がアフリカ大陸の各地域の気候に適応して分岐。 |
数100万〜数10万年前 | ビクトリア湖北西部にカネフォラ種とユーゲニオイデス種が交配して自家受粉可能な四倍体のアラビカ種の祖先が生まれる。 *アラビカ種の誕生と旅立ち |
100万〜1万年前 | 現在のアラビカ種の直接の祖先が、エチオピア高原に生き残る。 |
紀元前3世紀 | エチオピアで山羊飼いカルディがコーヒーを発見(伝説)?(「山羊飼いコーヒー発見伝説」) |
9〜11世紀 | ペルシャの医師・哲学者アル・ラーズィー(ラーゼス)とイブン・スィーナー(アヴィセンナ)が、薬としてコーヒー(ブン、ブンカ、ブンクム)について記述?[コラム]コーヒーを薬として使用か? |
13世紀末 | イスラムの修道僧シェイク・オマルがモカの山中でコーヒー発見(伝説)。[コラム]シェイク・オマルのコーヒー発見伝説。 |
15世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1454年頃 | アデンの律法学者シェイク・ジェマレディン(ザブハーニー)がコーヒーの効用を知り、イスラムの修道僧の間に広める。[コラム①]最初はどんなコーヒーを飲んだのか?[コラム②]コーヒーとワイン、カート |
15世紀半ば | この頃モカの東、イエメン の山中でコーヒーの栽培始まる?[コラム]いつコーヒーの栽培が始まったのか? |
1470年頃 | シェイク・ジェマレディン死去。 |
15世紀末 | コーヒーの飲用がメッカ、メディナなどアラビア半島南部に広まる。ほぼ同時期にカフェも現れる[コラム]スーフィーによるイスラム世界へのコーヒーの伝播 |
16世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1510年頃 | コーヒーがカイロに広まる。 |
1511年 | メッカで最初のコーヒー、カフェ弾圧。[コラム]イスラム世界でのコーヒー論争と弾圧。 |
1517年 | オスマン・トルコ皇帝セリム一世がエジプト征服(マムルク朝)。コーヒーがカイロからコンスタンチノープルに伝わる。 |
1530年頃 | ダマスカスにコーヒー伝わる。コーヒーハウス「バラ」「救済の門」ができる。 |
1532年頃 | アレッポにコーヒー伝わる。 |
1534年 | カイロでコーヒー反対運動起こる。 |
1554年 | コンスタンチノープルにコーヒーハウス(トルコではカフェ・カネ)ができる。[コラム]コンスタンティノープルのカフェの姿。 |
1570年頃 | オスマン・トルコ皇帝セリム二世(在位1566〜74)によるコーヒー弾圧。 |
1580年頃 | オスマン・トルコ皇帝ムラト三世(在位1574〜92)によるコーヒー弾圧。 |
1582(3)年 | ドイツの医師・植物学者レオンハルト・ラウヴォルフが著作(『東方諸国への旅』)の中でコーヒーについて言及。ヨーロッパで初めて印刷物中にコーヒーが登場。[コラム]コーヒーのヨーロッパへの紹介者たち。 |
1585年 | ヴェネチアのトルコ大使、ジャンフランチェスコ・モロシーニ、ヴェネチア評議会にトルコでのコーヒー飲用について報告。 |
1587年 | アブダル・カディール『コーヒーの合法性の擁護』を著述。現存する最古のコーヒー書。[コラム]アブダル・カディールの写本の翻訳と概要 |
1588年頃 | シャー・アッバスの治世(1588〜1629年)には、ペルシャにカフェが存在したとの記録。 |
1592年 | プロスペロ・アルピーニ、『エジプトの植物』出版。コーヒーの木のデッサンと記述。[コラム]イタリアのコーヒーへの関心の高まり |
1595年 | バルダヌス『リンスホーテンの旅』の注でコーヒーに関して記述。イギリスで初めてのコーヒーに関する記述。 |
17世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1600年頃 | インドのイスラムの巡礼者ババ・ブダンがモカからマイソールにコーヒーを持ち帰る(伝説?1640年、1695年頃という説も)。 |
1600年頃 | ローマ教皇クレメンス八世、コーヒーに洗礼を施す(?伝説)。*コラム:クレメンス八世のコーヒー洗礼は本当か? |
1602年 | ジョン・スミス、『旅と冒険』でコーヒーについて記述。[コラム]イギリス の知識人のコーヒーへの関心の高まりと著作。 |
1607年 | ジョン・スミス、バージニア植民地にコーヒーを持ち込む。 |
1609年 | ウィリアム・ビダルフ、『ある英国人たちのアジア、アフリカその他の地への旅行記』出版。コーヒーについて詳細な記述。 |
1610年 | (オランダ、ヨーロッパに初めて中国、日本から茶を輸送)。[コラム]陶磁器(コーヒーカップ)のヨーロッパへの輸出 |
1614年 | ピエトロ・デッラ・ヴァッレがコーヒーをヴェネツィアに持ち帰る。? |
1616年 | オランダがモカから初めてヨーロッパにコーヒーを輸送。1640年に商業的に輸入が始まる。 |
1620年 | ピルグリム・ファーザーズ、アメリカ入植。コーヒー器具を持ち込む? |
1623年 | フランシス・ベーコン、『死生論』でコーヒーについて記述。 |
1632年 | ロバート・バートン、『メランコリーの解剖学』でコーヒーについて記述。 |
1644年 | ド・ラ・ローク、トルコからマルセイユにコーヒー器具を持ち帰る。*コラム:フランスのコーヒーへの関心の高まり。 |
1645年 | ヴェネチアに最初のカフェ開店(コーヒーが一般化)? |
同 | トルコの使節団がウィーンにコーヒーを紹介。 |
1649年 | (清教徒革命) |
1650年 | オックスフォードにイギリス初のコーヒーハウス(「ジェイコブズ」)開業。 *コラム:ヨーロッパ諸国のカフェの始まり |
1652年 | アルメニア人パスカ・ロゼ、ロンドン初のコーヒーハウス開業。以後、続々とコーヒーハウスが誕生し、17世紀末には3000軒を数える。*コラム:ロゼのコーヒーハウス開業の経緯。 |
1656年頃 | オスマン・トルコの大宰相キョプリュリュによるカフェ弾圧。 |
1657年以前 | ジェイムズ・ファー、「レインボウ」(ロンドン)を開業。ロンドンで2番目のコーヒー・ハウス。 |
1657年 | スウエーデンの旅行家クレス・ロラン、トルコを使節として訪問。コーヒーの飲み方を報告。 |
1657年 | ロンドンの「ギャラウェイズ」で茶の販売広告¸*コラム:コーヒーハウスと茶、チョコレート *コラム:コーヒーハウスと広告の誕生 |
1657年 | ジャン・ド・テヴノー、パリにコーヒーを紹介。 |
1658年 | オランダ、モカからセイロン島(スリランカ)へコーヒーを移植。 |
1660年頃 | 「マイルズ・コーヒーハウス」(ロンドン)にロータ・クラブ設立。[コラム]コーヒーハウスとクラブ |
1660年頃 | マルセイユでコーヒーが売られる(薬屋)。 |
1660年頃 | 「ウイルズ・コーヒーハウス」(ロンドン)開業。(〜1749年)[コラム]著名なコーヒー・ハウスとコーヒーハウスに通う有名人 |
1664年 | ハーグにオランダ初のカフェ開業。 |
1665年 | (ロンドンでペスト大流行。) |
1665年 | 「グリシアン・コーヒーハウス」(ロンドン)開業。 |
1666年 | ロンドン大火。レンガ作りで再建。続々とコーヒーハウス開業。[コラム]代用貨幣の発行 |
1668年 | アメリカ最初のコーヒーに関する記述。 |
1669年 | トルコの大使ソリマン・アガがコーヒーを携えてパリに赴任。上流階級の間でコーヒーがブームになる。*コラム:セヴィニェ夫人とフランス宮廷人のコーヒー観。 |
1669年 | ロンドンにロイヤル・エクスチェンジ(商品取引市場)開設。近辺に多数のコーヒーハウス開業。[コラム]コーヒーハウスと商取引 |
1670年 | ノワンエル侯爵、フランス大使としてトルコ訪問¸(1670〜79年)。アブダル・カディールの書、ビチヴィリの写本を持ち帰り、ルイ一四世に献上。 |
1671年 | ローマのオリエント語教師ファウスト・ナイロニが著作の中で「山羊飼いコーヒー発見伝説」を紹介。*コラム:「山羊飼いコーヒー発見伝説」の真実 |
1671年 | マルセイユにフランス初めてのカフェ開業。 |
1671年 | シルヴェストル・デュフール『コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関して』刊行。 |
1671年 | ヘンリー・ブラント(コーヒー・ハウスの父、と呼ばれる)、『レバントへの旅』刊行。 |
1672年 | パリに最初のカフェ。アルメニア人パスカルが露店のカフェを開業。*コラム:「カフェ・プロコプ」以前のカフェ *コラム:コーヒーの呼び売りカンディオ |
1674年 | ロンドンで女性たちによるコーヒー禁止の請願。*コラム:女性のコーヒーハウスへの反感 |
1674〜88年 | ロベール・ボナール(Robert Bonnart)の版画シリーズ(貴族Homme de quarité¸)にコーヒーを飲む貴族の数点のポートレイト。 |
1675年 | チャールズ二世、コーヒー・ハウス禁止令。 |
1676年 | ルイ一四世によりカフェのギルド(カフティエ=リモナディエ=ディスティラトゥールのギルド認可。[コラム]ギルドの排他特権とカフェの商品アイテム |
1679年 | ハンブルクにカフェが開業。 |
1679年 | マルセイユでコーヒーの薬効について論争。 |
1683年 | コルシツキーがウィーン初のカフェ「青い瓶(ブラウエン・フラッツェ)」開業(作り話?)。[コラム]コルシツキーの「青い瓶」は作り話? |
1683年 | ヴェネツィアのサン・マルコ広場にカフェがあったとの記録。 |
1684年頃 | この頃ロンドンに3000軒のコーヒーハウスとの記述。 |
1684年 | シルヴェストル・デュフール『コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関する新たな興味をそそる論説』刊行。 |
1686年 | パリに「プロコプ」開業。フランスのカフェの原型となる。[コラム]「プロコプ」を巡って |
1688年 | ロンドンに「ロイズ」開業。→ロンバード・ストリートへ移転(1691年)→クラブを法人化してポープス・ヘッド・アレイに移転(「ニューロイズ」1827年)→株式市場の中に1774年。[コラム]「ロイズ」を巡って |
1688年 | ヨハネス・ディオダド、ウィーンにカフェ開業。ウィーンの最初のカフェか。 |
1689年 | (名誉革命) |
1689年 | ボストンにニュー・イングランド初のコーヒーハウス(「ロンドンコーヒーハウス」)開業。 |
1689年 | (イギリス東インド会社が初めて中国から直接イギリスに茶を輸送) |
1690年 | ストックホルムに2軒のカフェ。 |
1694年 | ライプチッヒに初のカフェ開業。 |
1696年 | ニューヨークに初のコーヒーハウス開業。 |
1698年頃 | 「ココアトゥリー(コーヒーハウス)」(ロンドン)開業。 |
1699年 | オランダがジャワにインドのマラバールからコーヒーの苗木を運び、移植に成功。[コラム]イエメンからのコーヒー栽培の伝播¸と経路 |
1699年 | アントワーヌ・ガラン、『コーヒーの起源と伝播』を著述。アブダル・カディールの書の抄訳。[コラム]アブダル・カディール写本のガランの抄訳について |
18世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1700年頃 | ロンドンに「トムズ」開業。(〜1814年) |
1702年頃 | ロンドンに「グリシアン」開業。ロイヤル・ソサイェティー(クラブ)結成。 |
1705年 | 「セント・ジェイムズ・コーヒーハウス」開業(ロンドン)。 |
1705年頃 | ジャワからアムステルダムにコーヒーの苗木を移送。 |
1709年 | リチャード・スティール『タトラー』創刊。[コラム]コーヒーハウスと近代ジャーナリズムの誕生 |
1711年 | ジャワからオランダにコーヒーを輸送。 |
1711年 | スティール、ジョゼフ・アディソンとともに『スペクテイター』創刊 |
1711年 | 「バトンズ・コーヒーハウス」(ロンドン)開業。 |
1714年 | アムステルダム市からルイ一四世にコーヒーの苗木を献呈。パリ王立植物園に移植。 |
1714年 | (ジョージ一世がイギリス国王に。ハノーヴァー朝の成立) |
1714年 | プラハ初めてのカフェ開業。 |
1715年 | (ルイ一四世崩御。ルイ一五世即位。オルレアン公が摂政に) |
1715年 | 「カフェ・ド・ラ・パレ・ロワイヤル」が、「カフェ・ド・ラ・レジャンス」に改名。豪華カフェに生まれ変わる(パリ)。[コラム①]ジュール・ミシュレ『フランス史・レジャンス』から [コラム②]カフェとゲーム(チェス) |
1715年 | ジャン・ド・ラ・ローク『幸福なアラビアの旅』刊行。コーヒーに関しての記述。 |
1715年 | ハイチとドミニカにコーヒー栽培が伝わる(ド・クリューと別ルート)。 |
1715年頃 | フランス、モカからコーヒーをブルボン島(現レ=ユニオン島)に移植し栽培に成功。ブルボン種の祖といわれる。[コラム]ブルボン島へのコーヒー移植の経緯。 |
1715年頃 | パリに300軒のカフェ。[コラム]フランス革命以前のパリのカフェ事情 |
1718年 | スリナムにコーヒー栽培が伝わる。 |
1720年 | ヴェネツィアのサン・マルコ広場に「カフェ・フローリアン」開業。[コラム]サン・マルコ広場のカフェ |
1721年 | ベルリンに初めてのカフェ開業。 |
1723年 | ガブリエル・ド・クリュー、パリの植物園のコーヒーの苗木をマルチニクに運び栽培に成功。ここからカリブ海・中米諸国に伝播(ティピカ種の祖)。[コラム]マルチニク島へのコーヒー移植の経緯 |
1725年頃 | ジャワ島がモカに代わって世界最大のコーヒー生産地に。 |
1725年頃 | ヴェネツィア・サン・マルコ広場に「カフェ・クワドリ」開業。 |
1727年 | フランシス・バリェタがフランス領ギアナからパラにコーヒーを持ち帰り、移植に成功。ブラジルのコーヒー栽培の始まり。[コラム]ブラジルのコーヒー栽培の始まり |
1730年頃 | ハイチ島で本格的にコーヒーの栽培が始まる。18世紀後半には世界最大の生産地に。[コラム①]黄金の島、ハイチ(サン=ドマング) [コラム②]コーヒーと奴隷貿易 |
1730年 | ジャマイカでコーヒーの栽培が始まる。 |
1750頃~ | カリブ海、中南米諸国にコーヒーの栽培が伝わる。キューバ1748年、グァテマラ1760年頃、コスタリカ1774年、ベネズェラ1784年、メキシコ1790年頃、コロンビア18世紀末。コーヒー栽培が本格化するのは19世紀後半以降。[コラム]中南米、カリブ海諸国へのコーヒーの伝播 |
1734年頃 | J.S.バッハ、ライプチッヒのカフェ・ツィンマーマンで「コーヒー・カンタータ」初演。[コラム①]コーヒークレンツヒェンと女性へのコーヒーの流行(ドイツ)。[コラム②]「コーヒー・カンタータ」解釈 |
1737年 | 「マーチャンツ・コーヒーハウス」開業(ニューヨーク)。[コラム]植民地時代のアメリカ社会とコーヒーハウス |
1750年 | カルロ・ゴルドーニの『ボデガ・デル・カフェ』ヴェネツィアで初演。 |
1751年 | 『百科全書』の刊行始まる(〜1772年)。[コラム]百科全書の刊行と「プロコプ」 |
1751年 | ウィリアム・ホーガス画『ビール通りとジン横丁』を発表。*コラム:18世紀ロンドンの居酒屋事情 |
1752年 | ロンドンに「ラネラ・ガーデン」開業。[コラム]ロンドンのティーガーデン |
1760年 | ローマに「カフェ・グレコ」開業。[コラム]「カフェ・グレコ」は「カフェ・テデスコ」 |
1760年 | ブラジルのリオでコーヒー栽培が始まる。 |
1760年頃 | フランスで布で漉す浸漬式の抽出法が普及し始める(ボイル式も継続して行われる)。[コラム]抽出法の多様化 |
1764年 | ミラノで文学誌『イル・カフェ』発刊。 |
1773年 | ボストン茶会事件。コーヒーがアメリカの国民飲料になるきっかけとなる。[コラム]ボストン・ティーパーティーとコーヒー。 |
1776年 | (アメリカ独立宣言) |
1777年 | プロイセンのフリードリヒ2世(大王)、コーヒーの使用を制限する布告。[コラム]コーヒー禁止の影響 |
1784年 | (パレ・ロワイヤルの改装完成(1781年〜))。 |
1784年 | ベネズエラにコーヒー栽培伝わる。1789年に輸出開始、栽培本格化。 |
1785年頃〜 | オルレアン公(ルイ・フィリップ・ジョゼフ)がパレ・ロワイヤル改装し、賃貸。パレ・ロワイヤルにカフェが集積。フランス革命時には各党派の活動の舞台ともなる。 |
1788年頃 | この頃パリのカフェ、1700軒を数える。 |
1789年 | (フランス革命) |
1789年 | カミーユ・デムーラン、「カフェ・ド・フォワ」のテラスでアジ演説。バスティーユへの行進のきっかけに(フランス革命の発火点)。 |
1789年 | ニューヨークの「マーチャンツ・コーヒーハウス」の前でジョージ・ワシントンの歓迎式典が行われる。 |
1791年 | ハイチで反乱発生。内乱でコーヒー生産に大打撃。[コラム]ハイチの独立とコーヒー |
1790年頃 | パレ・ロワイヤルに次々にカフェ、レストランが開業。パリ随一の繁華街に。 |
19世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1800年頃 | ドリップ式のコーヒー器具、ド・ベロワのコーヒー・ポット登場。 |
1800年頃 | (中国で紅茶=工夫茶の製造始まる) |
1800年頃〜 | パレ・ロワイヤル繁栄の全盛期(1830年頃まで) |
19世紀初頭 | アメリカが世界最大のコーヒー消費国に。 |
19世紀初頭 | スマトラ、セレベスなどでコーヒー栽培が本格化。 |
1802年 | 「カフェ・アングレ」開業。 |
1804年 | (ナポレオン、皇帝に即位。第一帝政始まる)。 |
1804年 | ハイチが独立(史上初の黒人共和国)。フランス、コーヒーの覇権を失う。 |
1806年 | ナポレオン、大陸封鎖令。コーヒーが不足し、代用コーヒーが横行。 |
1806年 | シルヴェストル・ド・サッシー、アブダル・カディールの『コーヒーの合法性の擁護』を部分訳。 |
1815年 | (フランス、ナポレオンが退位し、王政復古。) |
1815年頃 | ブラジルのフルミネンセ(リオデジャネイロ)でコーヒー生産が急増。 |
1815年頃〜 | オーストリア、ビーダーマイヤー時代(〜48年) |
1816年 | ¸メキシコでコーヒーの商業的栽培始まる。栽培の本格化は1870年代から。 |
1823年 | (インドのアッサム地方で茶の木(アッサム種)発見。 |
1830年 | (フランス、七月王政。) |
1830年頃 | イタリア通りにカフェ=レストランが集積。次第にパレ・ロワイヤルに代わりパリ一の繁華街に。 |
1832年 | パドヴァで「カフェ・ペドロッキ」開業。 |
1835年 | 「カフェ・クランツラー」開業(ベルリン)。 |
1838年 | (インドのアッサムで紅茶の製造始まる。続いてダージリンでも紅茶を製造(1841年)) |
1839年 | バルザック『近代興奮剤考』刊行。 |
1840年 | (アヘン戦争始まる〜1842年) |
1840年頃 | イギリス人ロバート・ナピアーがサイフォンを発明。 |
1843年 | コスタリカ、他の中米諸国に先駆けコーヒー輸出を本格的に開始。 |
1847年 | ウィーンで「カフェ・グリエンシュタイドル」開業。 |
1848年 | フランス、第二共和政。ルイ・ナポレオンが大統領に(1852〜第二帝政)。 |
1850年 | ブラジル、奴隷貿易を禁止。 |
1850年頃~1870年頃 | リオでのコーヒー栽培の黄金時代 |
1850年頃~ | この頃から中米のコーヒー栽培が本格化。先行するコスタリカについでグァテマラ(1850年頃)、エルサルバドル(1852年)、ニカラグァ(1860年代)がコーヒー栽培に取り組み、1870年代から輸出が急増。 |
1850年頃〜 | (ティー・レース始まる。〜1870年頃) |
1852年 | (フランス、第二帝政。ルイ・ナポレオンが皇帝に。) |
1852年 | (オスマンのパリ大改造始まる(〜1870年)) |
1855年 | (フランス、第一回パリ万博(1867:第二回、1878:第三回)) |
1858年 | ヴィクトリア湖の南でロブスタ発見。新種として報告せず。 |
1860年 | (アメリカ南北戦争(〜65年)) |
1860年頃〜 | (インドでの紅茶生産が軌道に乗る。) |
1861年 | (イタリア王国成立。) |
1861年 | アフリカでさび病発生。 |
1862年 | 「カフェ・ド・ラ・ペ」開業 |
1864年 | ジェイブズ・バーンズ、新型焙煎機を開発(現在の焙煎機の原型)。 |
1865年 | ジョン・アーバックル、初めてパック詰めにしたコーヒー「アリオーサ」を販売。 |
1865年 | 「ロイヤル・コーヒーハウス」(ロンドン)開業。 |
1867年 | バーンズ、グラニュレーターとコーヒー冷却器を開発。 |
1867年 | セイロン島(現スリランカ)でさび病発生。コーヒーの生産は19世紀末までに壊滅。徐々に茶に切り替わる。 |
1868年 | インドのニルギリでさび病発生。 |
1870年 | (普仏戦争に敗北。第三共和制へ。) |
1871年 | (ドイツ統一) |
1873年 | 「カフェ・インペリアル」開業(ウィーン) |
1874年 | リベリアでリベリカ種発見。 |
1874年 | (日本で紅茶製造始まる) |
1875年 | 「カフェ・バウアー」開業(ベルリン) |
1875年頃~ | ブラジル・サンパウロ地方でブルボン種導入始まる。 |
1875年頃〜 | コロンビアのコーヒー栽培が本格化。1880年代から生産が急増。 |
1876年 | 「カフェ・ツェントラル」開業(ウィーン) |
1876年 | ジャワ島、スマトラ島でさび病発生。 |
1878年 | バーンズ、コーヒー、紅茶、香辛料を扱う業界誌『スパイス・ミル』刊行を始める。 |
1880年 | 「カフェ・シュペール」開業(ウィーン) |
1880年頃~ | リオでのコーヒー栽培が徐々に衰退。1888年の奴隷解放により決定的打撃を受ける。 |
1882年頃〜 | コロンビアの中央高地でコーヒーの栽培が本格化。 |
1881年 | ニューヨーク・コーヒー取引所開設。 |
1883年 | (セイロン=スリランカからの紅茶輸出始まる) |
1884年 | この年から、サンパウロを中心にコロノスとしてイタリア移民の導入が本格化。 |
1885年 | 「シャ・ノワール」移転して新装開業。 |
1885年 | ジャワでさび病蔓延。生産が減少。リベリカへの植え替えが進む。 |
1890年頃 | パリのカフェの集積地、イタリア通りからモンマルトルへ。 |
1888年 | ブラジル、奴隷制廃止。農園からの奴隷の逃亡により、リオのコーヒー生産に壊滅的打撃。コーヒー生産の中心はサンパウロ州に移る |
1890年頃〜 | サンパウロ州が世界最大のコーヒー生産地に。90年代にはブラジルは世界生産量の70〜80%を占める(ブラジルの総輸出の60〜70%) |
1893年 | ジョウエル・チーク、ジョン・ニールとチーク=ニール・コーヒー社(「マックスウェル・ハウス」)をナッシュビルで設立。 |
1895年 | ヨハン・ヤコブス、ブレーメンにコーヒー店開業。(のちのヤコブス社) |
1898年 | ローランがコンゴでロブスタを発見。カネフォーラ種と命名。 |
1899年 | 加藤サルトリがシカゴでインスタント・コーヒーを開発。 |
1899年 | 「カフェ・ムゼウム」開業(ウィーン) |
1899年 | サンフランシスコにブランデンシュタイン兄弟(4人)がMJBコーヒー社設立。 |
20世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
1900年 | ヒルズ・ブラザーズ社、真空包装缶のコーヒーを発売。 |
1900年頃 | ジャワでロブスタの栽培が始まる。 |
1900年頃〜 | 中南米諸国がコーヒーを大増産。中米諸国は次第にコーヒーのモノカルチャー化。 |
1900年頃〜 | (インドでの紅茶生産が中国を圧倒) |
1901年 | ケニアにレ・ユニオン島からコーヒーを移植、栽培が始まる。続いてタンザニアも栽培開始。 |
1901年 | イタリア人、ベゼラが蒸気圧による抽出器を発明。エスプレッソ・マシンの原型となる。 |
1901年 | ブラジル、コーヒー大豊作。世界のコーヒー生産量の81%に達する。 |
1906年 | ルートヴィヒ・ロゼリウス(ドイツ)、カフェインレスコーヒーの特許を取得、会社を設立。 |
1907年 | コーヒー価格の暴落により、ブラジル政府がコーヒー買い上げ(ヴァロリゼーション)。 |
1908年 | メリタ・ベンツがペーパー・ドリップによる抽出器具を開発。 |
1908年 | (トマス・サリヴァン、ティーパック発明) |
1914年 | (第一次世界大戦始まる。〜1918年) |
1918年 | ブラジルで大霜害。コーヒーの相場が急騰。ヨーロッパの需要回復も要因。 |
1920年頃 | パリのカフェの集積地がモンパルナスへ。(狂乱の時代(〜1930頃)) |
1922年 | W.H.ユーカーズ『オール・アバウト・コーヒー』を刊行(1935年・第2版)。 |
1924年 | エドゥアルト・ショプッフ、ブレーメンにエドショー社を設立(通信販売)。 |
1925年頃〜 | ケニア、タンザニア、ウガンダなどアフリカのヨーロッパ植民地でコーヒー生産が本格化。 |
1927年 | コロンビアが世界第2位のコーヒー生産国に。コロンビア・コーヒー連盟FNC設立。 |
1929年 | (大恐慌。) |
1931年〜 | エルサルバドルに独裁政権(エルナンデス・マルティネス)誕生。その後グァテマラ(1931年)、ニカラグァ(1934年)、ホンジュラス(1932年)で独裁政権が誕生。コーヒー生産は進展したが、土地の集中化が進み、貧富の格差が増大。 |
1933年 | (ナチス、政権掌握) |
1934年 | ブラジル、過剰生産によりコーヒーを焼却。 |
1937年 | ネスレ社がインスタントコーヒーを商品化(「ネスカフェ」)、翌年発売。 |
1941年 | 第二次世界大戦(〜1945) |
1947年 | ガジアがピストン方式のエスプレッソ・マシンを開発。現在のエスプレッソ・マシンの原型となる。 |
1949~54年 | ブラジルの旱魃を引き金にコーヒー価格が上昇、アメリカで薄いコーヒーが蔓延し、インスタントコーヒーの需要が伸びる。 |
1950年頃 | サン=ジェルマン=デ=プレのカフェに実存主義者が集まる(サルトル、ボーボワール) |
1950年頃 | ヨーロッパの需要回復によりコーヒー価格が上昇。 |
1953年 | ブラジル霜害によりコーヒー減産。価格が急騰。アメリカでは薄いわゆるアメリカン・コーヒーが流行。 |
1955年頃 | ニューヨークなどでエスプレッソ・コーヒーが流行。 |
1956年 | 西ヨーロッパのコーヒー消費量が第二次大戦前を上回る。 |
1960年 | ブラジル、パラナ州のコーヒー生産量ががサンパウロ州を越える。生産地域の南下が顕著。 |
1962年 | 第一次国際コーヒー協定(ICA)成立。 |
1963年 | 国際コーヒー機構(ICO)設立。 |
1966年 | アメリカ、アルフレッド・ピーツがバークレーに「ピーツ・コーヒー&ティー」開業。スペシャルティコーヒーの先駆け。 |
1969年 | UCC上島コーヒー、世界初の缶コーヒーを発売。 |
1971年 | スターバックス、シアトルに開業 |
1974年 | エルナ・クヌッセン、スペシャルティ・コーヒーの概念を『ティー&コーヒー・ジャーナル』誌上のインタビューで発表。 |
1975年 | ブラジル大霜害。 |
1976年 | ブラジル霜害の影響でICOが輸出総量割当制を実施。 |
1979年〜 | ニカラグァで「サンディニスタ」政権誕生。中米では続いてエルサルバドル、グァテマラでもゲリラの活動が活発化し、混乱の時代に。コーヒー生産も縮小傾向。 |
1979年 | スイスのコフェックス社がスイス・ウォーター方式のカフェインレス・コーヒーを開発。 |
1980年頃〜 | コロンビアでバリエダ・コロンビア品種導入、品質劣化へ。 |
1982年 | アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)設立 |
1983年頃~ | アメリカでのスペシャルティーコーヒーの市場が急速に拡大。 |
1985年 | ブラジルで大旱魃。翌年にコーヒーの相場が急騰。 |
1985年頃〜 | ブラジルのコーヒー栽培の中心が、ミナスジェライス州の高原地域(セラード)に移行。 |
1990年頃~ | ヴェトナムでのコーヒー栽培(主にロブスタ)が本格化。生産量が急速に拡大し2003年には世界第2位の生産国に。 |
1986年 | ハワード・シュルツ、スターバックス社から独立し、エスプレッソ・バー「イル・ジョルナーレ」を開業。 |
1987年 | ハワード・シュルツ、スターバックスの商標を買収し、コーヒーチェーン展開を開始。 |
1995年 | SCAA、コーヒーフレーバーホイールを作成・発表。 |
1997年頃〜 | コーヒー生産におけるサスティナビリティ運動(認証コーヒー)が盛んに。 |
1997年 | オークションシステムによるカップ・オブ・エクセレンスのプロジェクト始まる。1999年に現行の方式に。 |
21世紀 | <コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |
2000年 | ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ始まる |
2001年 | 現行の国際コーヒー協定発効。 |
2001年 | パナマ・オークションでゲイシャ種が最高値を更新。 |
2002年 | ジェイムズ・フリーマン、「ブルー・ボトル」開業。アメリカでサードウェーブのコーヒー流行。 |
2005年頃〜 | パカマラ、ジャバ等のコーヒーの新品種の導入が盛んになる。 |
同 | 中米を中心に新タイプのナチュラル、ハニー(パルプド・ナチュラル)など新たな精製法の研究・開発が進む。 |
2010年頃〜 | ラオス、タイ、ミャンマーなどアジア諸国でコーヒー栽培が盛んになる。 |